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2006年04月26日

マオ?

毛沢東を描いた『マオ』という本が売れているようです。
私も気になって、読みたいと思っているのですが、
あの分厚さで上下巻ですから、なかなか手が出せないでいます。
そこで、読書家である友人に聞いてみました。
「マオ、読んだ?」と。


するとその友人は、
「うーん、俺、別にスケートに興味ないからなあ」
「?」
「でも、15歳で本を出すってすごいよね。ほとんど写真集みたいのかもしれないけど」
「??」


ここでようやくわかりました。
彼が言っているのは、フィギュアスケートの「浅田真央」選手のことであると。
知りませんでしたが、実は彼女も本を出しているようなのです。
歴史街道編集部内では、「マオ」といったら一も二もなく毛沢東のことですが、
世間一般では、浅田真央選手のほうが思い浮かぶのですね。
少し、世間とのずれを感じた私でした。
でも、このブログを読まれるような方ならば、マオといえば毛沢東ですよね。(横)

2006年04月24日

歴史街道ランチ小景

歴史街道編集部のランチタイムについて書きます。
日ごろ、男性陣は近くのお店に入って昼食を取るのですが、
毎月、制作段階の大詰めになってくると忙しいので、
手早く食べられる弁当にすることがしばしばあります。
そのため、一番下っ端の私が、弁当の買い出しに走ることになります。
この買い出し、実はなかなか気が抜けない仕事なのです。
当初「みんな同じほうが平等でいいだろう」と考えて
全部同じ弁当にしていたのですが、
ある日、「これ、きのうと一緒だ・・・」と先輩がつぶやいたのです。
これには参りました。大事な仕事で失敗したような気分になりました。
非常に忘れっぽい私は、対応策として全て違う弁当を買うようにしました。
しかし、これがまた問題なのです。
当然の如く、誰がどの弁当を選ぶかという問題に直面します。
買ってきた弁当の名前を私が読み上げるのですが、
編集長はいつも「何でもいいよ」という調子なので、
編集長と私以外の先輩方が先に選びます。
残った二つの中から私が選ぶのですが、小心者の私は、
「自分がこっちにしたら編集長はあっちで、あっちにしたらこっちが編集長で・・・」
と勝手に右往左往してしまうのでした。
次の弁当の時期まであと半月・・・
編集長が「じゃ、これ」と弁当を選んでくれることを私は密かに願っています。(村)

2006年04月20日

「ダントツ」の罠

こんな表現をある本で見かけて、昔の失敗を思い出しました。
「私はその試験でダントツのトップだった」
さて、私も昔、同じ間違いをしたのですが、
どこが間違っているかわかりますでしょうか。
知っている人には当たり前かもしれませんが…。


まだ新人編集者だった頃、「ダントツの1位」という文字が入った文章から、
スペースの問題で、2文字以上減らす必要に迫られたことがありました。
なら、「ダントツ」を漢字にすれば、2文字減るんじゃないか。
そう思った私は、こう書きました。
「段突」
私はダントツとは、段違いに突出していることだと思っていたのです。
しかし、それを見た先輩から「おかしい」と言われました。
「断トツ」という表現は見たことがある。
断然、飛び出ているのだから、あえて漢字にするなら、こうではないかと。
「断凸」


混乱した私は辞書を引くことにしました。
(最初から引いておかないから、こういう混乱が起こるのですね)
すると、そこには全く予想もしなかった答えがあったのです。


断トツ――「断然、トップ」の略


えええええええ!
知りませんでした。断トツのトツがまさか「トップ」だったなんて。
いったい、どこの誰ですか、そんな略し方をしたのは。
しかし、困りました。
「ダントツ」から「断トツ」では1文字しか減りません。
そこで気がついたのです。
そもそも「断トツの1位」、つまり「断然トップの1位」という表現はおかしいのではないか。
トップというのは既に1位という意味ですから、
「頭痛が痛い」なみの重複表現になるのではないかと。
「断トツのトップ」なんて、もっととんでもない表現ですね。
結局、その時は、「の1位」を取って、3文字減らすことでことなきを得たのです。


ただ困ったことは、「ダントツの1位」という表現があまりに普通に使われているため、
「私の成績はダントツだった」より、
「私の成績はダントツの1位だった」のほうが、
なんだか座りがいいような気がしてしまうことです。
考えてみれば、「トップ」という言葉が入っているということは、
もし時代劇なんかで、「ダントツ」なんて言葉が出てきたら、おかしいことになってしまいますね。
これ以外にも、知らずに間違って使っている言葉があるかもしれません。
もし、みなさんもこんな勘違いをしていた、という経験があれば教えてください。(横)

2006年04月19日

新庄選手に似ているある歴史上の人物

昨日、日本ハムファイターズの新庄剛志選手が引退を表明しました。
私は阪神ファンということもあり、昔から新庄選手の動向には注目してきたのですが、
今回もまた、突然の発表に驚かされました。
新庄選手はその突飛な言動から、しばしば「宇宙人」と揶揄されるように、
日本人としてはかなり特異な存在に見えます。
ただ、だからといって新庄選手のことを悪く言う人は少ないのではないでしょうか。
一方、元ライブドア社長の堀江氏も「従来の日本人とは違う」という意味では
新庄選手と同じでしたが、昔からどうも素直に応援する気になれませんでした。
では、何が違うのでしょうか。


私は、阪神時代やメジャーリーグ時代よりも、今の新庄選手のほうが好きです。
彼の行動が「ファンを喜ばせる」という点で筋が通っているように見えるからです。
それは、引退表明での「開幕戦で球場が満員になってオレの夢がかなった」
という言葉にも表われているでしょう。


また、一見めちゃめちゃに見える彼の言動ですが、
メジャーリーグを自由契約になった時、
初めて声をかけてきてくれた日本ハムファイターズに入団したように、
筋を通すべきところはきちんと通しています。
その年は、日本ハムが東京から札幌へと本拠地を移す時でしたが、
新しい挑戦に新庄選手の力を必要としている、という球団側の言葉に、
まさに彼は「意気に感じ」、入団を決意したのでしょう。


さて、そんな新庄選手は、私は歴史上のある人物に似ていると思っています。
それは……

戦国時代のかぶき者、前田慶次郎です
前田慶次郎といえば、隆慶一郎の『一夢庵風流記』、
それを原作とした漫画の『花の慶次』で有名な人物です。
派手な衣装とパフォーマンスで周囲の度肝を抜き、
誰も考えつかなかったような大胆な作戦で勝利を導く。
(新庄が敬遠のボールを無理に打ってサヨナラにしたのもそうですね)
若い頃は安定した地位を捨て、自分の力を試したい、面白いと思うことをやりたい、
という思いのままに奔放に生き、無謀と思われる挑戦をする。
そして、新庄は日本ハムのために北海道へ、
慶次郎は友の直江兼続のために米沢へ向かったように、
他に条件のいいオファーはあっても、「意気に感じた」相手を最後は選んでいます。
(赤がシンボルカラー、というのも似ているかもしれません)
ざっと共通点を挙げてみましたが、いかがでしょうか。
どちらも非常識な言動はたいへん多くても、なぜか回りから憎まれず、
逆に好かれているところも同じですね。
日本人離れした両者ですが、実は日本人として大切なものはきちんともっているのかもしれません。


おや、今日もホームランを打ったようですね。
これから新庄選手の最後の1年間を、しっかりと見ていきたいと思います。(横)

2006年04月18日

日露戦争後の人気軍人投票、その意外な顔ぶれは?

現代と昔では、歴史上の人物に対する評価が180度変わる場合があります。
また時代の流れとともに、やがて忘れ去られていく人物もいるようです。

以下は、日露戦争後の明治46年にある雑誌に掲載された、読者による「海陸軍人」の人気投票です。どれくらいの軍人の名前がお分かりになるでしょうか。

1位・乃木希典
2位・東郷平八郎
3位・郡司成忠
4位・財部彪
5位・福島安正
6位・長谷川好道
7位・中村覚
8位・島村速雄
9位・瓜生外吉
10位・山本権兵衛
『冒険世界』明治43年6月号より

日露戦争直後の投票ということで、日本海海戦の敵前ターンで有名な連合艦隊司令長官・東郷平八郎は言うに及ばず、戦争で殊勲を挙げた人物が多くランクインされています。

意外なのは、乃木希典が1位であること。乃木というと、今ではすっかり愚将のイメージが定着してしまいましたが(?)、戦前までは西郷隆盛と伝記の数を競うほど国民に人気があった人であり、少なくとも明治には大スターであったことは間違いありません。

また、北千島の開拓者・郡司成忠やシベリア単騎横断の福島安正など、明治はまだまだ知られざる偉人の宝庫のようです。

いずれ、歴史街道でも取り上げられたらいいなと思っています。        (永)  

2006年04月17日

栄光なき凱旋

栄光なき凱旋.jpg

『栄光なき凱旋』(上下)
真保裕一著 小学館 各1995円(税込)


私の好きな作家の一人、真保裕一氏の新刊です。
ミステリーに始まり、ハードボイルド、山岳小説など幅広いジャンルに挑戦する作家ですが、
今回は太平洋戦争ということで、初めての歴史ものです。
主人公は、ロサンゼルスのリトルトーキョーに住むジロー・モリタ、ヘンリー・カワバタ、
そしてハワイ在住のマット・フジワラの3人の日系二世たち。
彼らの運命は、12月8日の日本による真珠湾攻撃により、大きく変わっていきます。
アメリカ国籍を持っているにも関わらず、いわれなき迫害を受ける日系人たち。
そのなかで彼らは、アメリカという国への忠誠を証明するために、
自らアメリカ軍に入隊し、父母の国である日本と戦うことを選ばざるを得なくなっていきます。
日本語能力を買われ、南太平洋で日本人捕虜の尋問の任務にあたるジロー。
そのジローとともに、日本を罠にかける作戦に投入されるマット。
日系人部隊の一員として、激戦のイタリア戦線に送られるヘンリー。
そして彼らが戦場で出会うとき、さらに苛酷な運命が…。


日本の真珠湾攻撃の後、アメリカ本土やハワイの日系人たちがどんな扱いを受けたか、
二つの祖国を持つ日系二世たちの苦悩、そして彼らが誇りを失わずに生きるために
いかなる選択肢を取ったのか、を丁寧に描いていきます。
「日本人」とは、「愛国心」とは何かを正面からとらえた重いテーマでありながら、
サスペンスの要素も盛り込み、きちんとエンタテインメントとして成立しているのが
真保氏の面目躍如というところ。
最近は、福井晴敏氏や古処誠二氏など、エンタテインメント界の若手作家が
「戦争小説」を描くことが増えています。
戦後六十年たったいま、新しい世代が新しい視点から戦争を捉え直そうとする動きが
高まっているような感じがします。いろいろと読み比べるのが楽しみです(横)

2006年04月15日

編集後記ぐらい……

本日は正真正銘のぼやきです。
4月15日(土)は出かける予定をしていたのですが、
現在制作中の6月号で若干遅れたページがあったため、
キャンセルして出社することにしました。
それ自体はさして珍しいことではないのですが、
ただ、その遅れたページが「編集後記」というのはちょっと面白くない。
しかもこの日、フロアが大掛かりな清掃を行なっていたため、
外で3時間以上も待たされるはめとなりました。
そこで編集部員にひと言。編集後記ぐらいさっさと書いてくれ!

2006年04月14日

映画「バルトの楽園(がくえん)」試写会

バルト.jpg
一昨日、6月17日公開の映画「バルトの楽園」の試写会に行ってきました。
内容は日本で初めて第九が演奏された板東俘虜収容所の物語……といえば、
本誌で連載されていた小説「奇蹟の村の奇蹟の響き」でご承知かと思います。
映画の主役は松平健演じる収容所長・松江豊寿。松平健といえば、「主人の顔も
見忘れたか!」「うっ、上様!」でお馴染みの暴れん坊将軍、最近はマツケンサンバ
の大ブレイクで話題となりましたが、本作品中は常に温和な表情の、しかし内には
会津武士の誇りを秘めた松江所長を好演しています。
最初はぎこちなかったドイツ人俘虜たちが、板東(徳島県)の人々と交流し、
次第に表情が明るくなっていく様子がていねいに描かれ、やがて人間の絆の
素晴らしさを感じさせるエンディングへ。
観終えて、とても気分良く会場をあとにしました。
なお、本誌に連載された「奇蹟の村の奇蹟の響き」が6月初めに単行本として
発行される予定です。映画の関連図書としても紹介されますので、
ぜひご一読ください。                        (辰)

2006年04月10日

おめでとう!

結婚式.jpg

8日、歴史街道の編集部員の結婚式があり、部員一同、出席してまいりました。
この日ばかりはみんな仕事を忘れるほど、楽しい結婚式でした。
なかなか早く家に帰れる日は少ないかもしれませんが、これからもがんばってください。
はたして、「一豊と千代」のような夫婦になるのか、はたまた「利家とまつ」か。
なにはともあれ、おめでとうございます。

2006年04月08日

「歴史街道」ってどんな雑誌?

「編集長のぼやき」という部屋を頂戴しましたが、別に私、
いつもぼやいているわけではありません。
今日は月刊誌「歴史街道」がどんな雑誌を目指しているのかを簡単にご紹介します。
「歴史街道は歴史雑誌ではない」と言ったら、「えっ?」と思われるでしょうか。
正確には「歴史のための歴史雑誌ではない」ということです。
表紙に「時代を見抜く座標軸」というコピーがあるように、創刊以来、「歴史街道」は
「歴史を通じて現代を読む」ことを心がけてきました。現代はどんな時代なのか、
今を乗り切るためにはどんな生き方が求められるのかを、歴史を通じて探ろうというのが、
基本的なスタンスなのです。
また、歴史に少しでも関心のある方に広く読んで頂くために、予備知識なしでも無理なく
読める内容と、多少難しい漢字にはふりがなをふるなど、中学生でも読める誌面を心がけています。
さらに、日本のよさ、日本人のよさをクローズアップすることで、一読後、自信が湧いてきて、自分も頑張ってみようという気持ちになれる、そんな雑誌を目指しています。
かつての日本人の「熱さ」「懸命さ」は、現代を生きる私たちに多くのことを語りかけてきます。ぜひ「歴史街道」の誌面で、先人たちの声に耳を傾けて頂ければと思います。

2006年04月07日

実をつける山吹と太田道灌

IMG_3624山吹.jpg

通勤途中の道で見かけた山吹です。
山吹で有名な歴史上の人物といえば、太田道灌ですね。


ある日、鷹狩りに出かけた先で雨に降られた道灌は、
近くにあった家に駆け込み、「蓑を貸してくれ」と声をかけます。
家から出てきたのは、思いもよらず幼い少女。
その少女が差し出したのは、なぜか山吹の花一輪でした。
意味がわからない道灌は、
「花が欲しいのではない」と怒って、雨の中を帰ってしまったそうです。


城に帰った道灌は、家臣にそのことを話します。
するとその家臣は、
「その娘は、蓑がない恥ずかしさを山吹に例えたのではないでしょうか」
というのです。
「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれた歌があります。
【七重八重花は咲けども山吹の み(実)のひとつだになきぞかなしき】
山吹が実の一つもつけないことと、蓑一つも家にないことをかけて表現したのでしょう」
道灌はこれに感じ入り、以後、歌道に多いに精進したということです。


私も山吹を見るたびにこの話を思い出していたのですが、
ある日、とんでもないことに気づいたのです……


ふとみると、山吹がなんと実をつけているのではありませんか。
これはどうしたことかと思い、調べてみると、山吹には、
写真のいわゆる「山吹」と、花びらが幾重にもなる「八重山吹」の二種類があるんですね。
それで「八重山吹」は実はつけないけれど、「山吹」は実をつけるそうです。
たしかに兼明親王の歌でも「七重八重」とうたってますね。
あやうく知ったかぶりで恥をかくところでした。


さて、山吹といえばもう一つ思い出すのが、時代劇でよく耳にする、
「菓子は菓子でも、山吹色の菓子であるな(ニヤリ)」
というセリフですが、ほんとに江戸時代、
「山吹色の菓子」という表現はあったのでしょうか。
少し気になっています。(横)

2006年04月06日

5月号について

TS2A0006.JPG

「歴史街道」編集部かわら版にようこそいらっしゃいました。
写真は編集部のすぐ近くの千鳥が淵の桜です。
残念ながら、昨日の雨でずいぶん散ってしまいました。
水面に、桜の花びらのラインができているのがわかりますでしょうか。


さて、まずは、本日発売の5月号について少しご案内を。
総力特集は「軍師・島左近」。
石田三成に仕え、関ケ原の戦いを画策したといわれる伝説の軍師です。
「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」
という歌で有名ですね。
ある伝承では、島左近は、三成の必死の説得により仕官を受け入れ、
1万5千石の俸禄で召し抱えられます。
これは、当時の三成の禄高4万石のうちの4割近くを与えられるという
破格の待遇でした。この時より、左近は三成のために働くことを誓います。
そして豊臣秀吉亡き後、天下をうかがい始めた家康を牽制するために、
左近は「関ケ原」を画策しますが・・・。
老獪な家康に対抗するには、三成はあまりにも純粋すぎました。
しかし左近は三成のその純粋さを愛し、最後は満身創痍になりながら
獅子奮迅の活躍を見せます。類稀な力量を持ちながら、
まさに「士は己を知る者のために死す」という言葉を体現したような、
信じる人のためにすべてをかけた男の生き方を描いています。
ぜひ、ご一読をお願いいたします。(横)

2006年04月05日

かわら版発行のご挨拶

ブログなんてやめときなさいと言ったのに!
大体、仕事に追われて不規則不摂生な生活が続いているというのに、
この上ブログなんぞを始めて、まだ仕事を増やそうというのですか?
そもそも連日のどたばた騒ぎの様子を人様にお読み頂いて、どうするの?
え、そうした裏事情を面白がる人もいる?
そうかなあ、そんな奇特な方が多いとは思えないのだが……。
というわけで、突然ながら、「歴史街道瓦版」が本日より始まることとなりました。
誌面にあらわれない裏話、失敗談など、編集部員の本音と赤裸々な姿が
つづられていくことになりそうです。
またそれだけでなく、ちょっと気になる情報なども適宜アップしたいと思います。
どうぞ、おひまな時にお立ち寄りくださいませ。
                                          編集長