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2006年06月30日

蹴鞠の達人

先日の「理想の日本代表」の記事ですが、
予想以上に多くの方からご感想をいただきました。
やはり、日本代表に期待していた人がそれだけ多かったということでしょうか。


さて、MFに「平安貴族から一人」といういい加減な書き方をしていたところ、
蹴鞠の達人として、推薦が二人ありました。ありがとうございます。
まず一人目は、わが編集長からの推薦、今川氏真です。
氏真は、桶狭間で信長に敗れたあの今川義元の息子です。
桶狭間の後、氏真は松平(徳川)、武田などにあっというまに所領を奪われてしまいます。
氏真は北条氏を頼りますが、その北条氏が武田と結んだため、
今度は徳川家康の庇護下に入ります。
そして家康とともに上洛して父の仇、信長に拝謁し、
その面前で、得意の蹴鞠の妙技を披露したという話が残っています。
ただ、日本代表として世界を相手に戦うには、もう少し芯の強さが欲しいところ。
そう思っていたら、まさに「蹴鞠の達人」と謳われたすごい人を教えてもらいました。

それは、平安後期の藤原成通(なりみち)という人物です。
「古今著聞集」によれば、彼の蹴鞠は凡夫の業ではなく、
蹴鞠場に通うこと7千日以上、2千日連続で蹴鞠をしていたこともあったそうです。
また病気の時は、臥しながらも鞠を足に載せていたということ。
清水寺の舞台の欄干の上を、鞠を蹴りながら行ったり来たりしたとか、
鞠を高く蹴り上げたら、雲の中に消えてそのまま落ちてこなかったとか、
熊野神社に詣でた時に、うしろ鞠(かかとでリフティングですね)を
200回続けながら参拝したとか、信じられないような話が残っています。
また、7,8人を座らせて、その肩から肩へと踏み歩きながら、鞠を蹴ったところ、
肩を踏まれた人たちは、
「沓(くつ)で踏まれたとは思わなかった。鷹が手に止まったくらいに思われた」
といい、一人だけ頭を踏まれた人がいたのですが、その人も
「平笠をかぶったような感覚だった」
と感想を述べたそうです。
さらに若い頃、庭で蹴鞠をしていたときに、蹴りそこなって、
部屋の中に鞠が飛んでいったことがありました。
そこで成通はすかさず走っていって、とんぼ返りで室内に入りかけた鞠を蹴り戻し、
室内の板敷きを踏むことなく、庭にきちんと着地したそうです。
うーん。キャプテン翼も真っ青のオーバーヘッドキックですね。


さらに彼がすごいのは、「蹴鞠の神様」にも会っていること。
ある夜、棚に置いてあった鞠が突然落ちてきたので成通が不思議に思っていると、
顔が人、手足体は猿で、3~4歳の子供くらいの大きさの者が3人現われました。
そして「私たちは蹴鞠の精です」と名乗り、
「昔からあなたほど蹴鞠を愛した人はいません。
そのお礼にあなたの技をもっと高めてあげましょう」と
成通を加護してくれることになったそうです。


この蹴鞠の神様は、「精大明神」または「蹴精大明神」として、
京都市上京区にある白峯神社に祀られています。
(白峯神社といえば、崇徳天皇を祀っている神社として有名ですが)
境内には「蹴鞠の碑」もあり、毎年4月と7月には蹴鞠奉納が行なわれ、
現在ではサッカー関係者の参拝も多いとのことです。
しかし藤原成通ですが、まさに神様にも愛されるその技術。
日本代表にぜひとも欲しい人材ですね。(横)

2006年06月23日

編集部員のぼやき???

ひょっとしたらお気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが、
密かな人気を博しつつも、
編集部員にとっては非常に恐ろしい「編集長のぼやき」が最近、更新されていません。
これは何を意味するのでしょうか?
ところでぼやきといえば楽天の野村監督ですが、
交流戦好調で、ぼやきも少なかったようです。
ということは歴史街道も
ぼやくことがないほど非常にいい調子なのか、
それともぼやきがでないほど・・・
いやいや、きっといい調子なんですよね、編集長?(村)

2006年06月19日

理想の日本代表

昨夜は多くの方が、ワールドカップのクロアチア戦をご覧になったことと思います。
川口のスーパーセーブなどもありましたが、
やっぱり気になるのは得点が入らないこと。
ではどうすれば、点が入るようになるんでしょうね。
それには、今の人材だけでは足りません。
過去の歴史上の人物たちで、理想のチームをつくりあげるくらいしなければ、
ブラジルに勝つことなどできないのではないでしょうか。


そこで、私が考えてみた、理想の日本代表がこちらです。

FW
●高杉晋作 「動けば雷電のごとく発すれば風雨のごとし」
        驚異的なスピードと突破力でゴールをもぎとれ!
        弱点は体力面か
●宮本武蔵 勝利への執念は誰にも負けない
        得点のためには、ありとあらゆる手段を使う覚悟がある


MF
●源義経  敏捷性と器用さを持ち合わせた日本のロナウジーニョ。
        八艘飛びで相手のタックルをかわせ。奇襲だって得意だ
●織田信長 厳しさと激しさを持ち合わせた日本のリーダー。
        統率力も抜群
●豊臣秀吉 機動力は天下一品。
        「大返し」のスピードで攻守を切り替えろ
●真田幸村 「狙うは相手ゴールのみ」
        右サイドを驚異的なスピードで駆け上がれ
●平安貴族から一人
        「蹴鞠」で鍛えた世界に誇るテクニックで敵を翻弄
        正確無比なトラップとパスで敵陣を切り裂け
      

DF
●土方歳三  「ツネ様」より「トシ様」。鬼の副長がディフェンスラインを統率。
         「敵に抜かれた奴は切腹だ」
●楠木正成  籠城戦ならお手の物。
         オフサイド・「トラップ」を仕掛けるのも任せろ
●弁慶     ゴール前に仁王立ち。
         強烈なシュートを何本浴びても倒れない
GK
●柳生石舟斎 「敵のシュートはすべて見切っている」
          「無刀取り」ならぬ「ボール取り」の技術が冴え渡る


監督は「東海一の弓取り」徳川家康あたりでしょうか。
最初は負けていても、粘り強く戦って最後に逆転するイメージですね。
普通の日本人が考えつかないような作戦を立てるという点で、
真田昌幸あたりにやらせてみるのも面白いかも。
ところで、どこかに「魔界転生」を使える人はいませんかね。


何はともあれ、次のブラジル戦が最後です。
奇跡に期待いたしましょう。(横)

2006年06月15日

会津武士とカレーライス

現在発売中の「会津武士道」の特集で採り上げている
山川健次郎という人物がいます。
旧会津藩士でありながら逆境に耐え、アメリカに留学して物理を学び、
帰国後、教育者となって、東京帝国大学総長にまでなった人物です。
さて、この山川健次郎、実は
「初めてカレーライスを食べた日本人」
であったことはご存じでしょうか。


アメリカへ渡る船の中、海に縁などない会津藩士だった16歳の健次郎は、
激しい船酔いに襲われます。
しかも、船では出されるのは肉料理ばかり。
彼はこれまで、肉など食べたこともなく、手をつけられなかったといいます。
船酔いと、食事不足で、健次郎の体調は限界に達していました。
そこで、彼は船内の食堂で、「カレーライス」なるものを目にします。
上に何やら怪しげなものがかかっているが、ともかくその下にごはんがある!
彼は意を決してカレーライスを注文。
かくして彼は、栄えある「日本人で初めてカレーライスを食べた男」となったのです。
しかし一説には、彼はカレーをよけてごはんだけ食べていた、ともいわれています。
また、彼の体調を心配した船医があんずの砂糖漬けを持ってきてくれたことから、
その後の航海中、彼はその砂糖漬けをおかずにして、
カレーライスのライスのみを食べていたそうです。
どうも、健次郎少年の口にはカレーは合わなかったようで。


この話、特集のコラムとして、誌面で掲載するほどの話でもありませんでしたので、
こちらにひっそりと紹介する次第です。
私自身は、こういうちょっとしたこぼれ話も好きなんですけどね。(横)

2006年06月12日

北鎌倉のアジサイ寺にいってきました。

060612-100108.jpg

梅雨の季節。毎日、雨模様でうっとうしい季節が続きますね。

しかし、梅雨の季節ならではの楽しみもあるもの。

紫陽花(アジサイ)寺として有名な北鎌倉の明月院にいってきました。

三門を抜けて、しずしずと境内に入っていくと、
迷路のような道の両脇を、紫陽花が満開でした。

さらに、裏のお庭には菖蒲(ショウブ)が植えられ、
小川にはミズスマシやオタマジャクシが泳いでいました。

土がぬかるんでいるため、
サンダル(ミュールというのでしょうか?)履きの女性のかかとが、
ズブズブと泥にはまっていきます。

小川の上流に向けて階段がつづき、上っていくと、
行き止まり。あとは、林があるだけです。

ツレが「この先には何があるの?」と聞くので、
「神さまがいるんだよ」と答えておきました。

北鎌倉には、ほかにも、円覚寺、東慶寺など、
歴史があって紫陽花がキレイなお寺があり、
雨足が弱くなってきたころをみはからって、
お出かけしてみるのもいいかもしれません。(永)

2006年06月06日

火坂雅志先生サイン会のお知らせ

今週の土曜日、「歴史街道」にもよくご登場いただく
火坂雅志先生のサイン会が行なわれます。
また、『虎の城』『蒼き海狼』など、火坂雅志先生の著作フェアも開催中ですので、
みなさま、ぜひ足を運んでいただければと存じます。


日程:6月10日(土)
時間:午後2時~午後4時(整理券配布は午後1時~)
会場:時代屋神田小川町店・2F茶屋
東京都千代田区神田小川町2-3-12 神田小川町ビル1-2F
・都営新宿線 小川町駅 徒歩1分
・東京メトロ千代田線 淡路町駅 徒歩2分
お問い合わせ:0120-37-5460


時代屋URL:http://www.jidai-ya.com/
(地図もこちらにあります)

2006年06月05日

喧嘩両成敗の誕生

喧嘩両成敗.jpg


『喧嘩両成敗の誕生』
清水克行著
講談社選書
1575円(税込)


「喧嘩におよぶ輩、理非を論ぜず、両方共に死罪に行ふべきなり」(今川かな目録)
日本人なら当り前のように使う「喧嘩両成敗」という言葉。
ケンカをした両者に対して、その正否を論ぜず同等の処罰を与える
――というこの法は、考えてみればずいぶん乱暴な法ではないでしょうか
実は「喧嘩両成敗」という仕組みは日本以外ではほとんど例が見られないといいます。
では、この独特な観念はいったいどこから生まれてきたのでしょうか。
著者は、中世の日本人が、我々が考えている以上に荒っぽく、
損害を受けた際には復讐に訴えるのを正当と考えていたこと、
自らの利権を守るためには、自力で戦うしかないと考えていたこと、
それが当時の社会の紛争を激化させてしまう大きな要因となっていたことに着目します。
そこで、戦国武将が秩序を回復するための緊急避難的措置として、
「喧嘩両成敗」の法律をつくりあげていくという過程が細かに記されます。


本書で紹介されている驚くべき制度があります。
それは、江戸時代の米沢藩にあった「指腹(さしばら)」という習俗。
これは、「みずからの切腹に使った刀を遺恨のある者に送りつけ、
ひとたびその刀を受け取ったものは、
異議なくその刀でみずからも切腹しなければならない」というもの。
その後、この習俗は、喧嘩両成敗的システムへとつながっていくのです。


法律の条文としては残らなかった「喧嘩両成敗」ですが、
今の日本人にもその精神は色濃く残されています。
その思想がどのように生まれたのかを探る、非常に興味深い一冊でした。(横)