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2006年07月25日

歴史街道版 川中島合戦

DSCN1053.JPG
来年のNHK大河ドラマ『風林火山』の出演者発表に行ってきました。
どんな演技を見せてくれるのか楽しみな方ばかりですが、
その中でも私が特に気になったのが、武田信虎役の仲代達矢さんです。
仲代さんは黒澤明監督の『影武者』で、
威厳ある武田信玄と、最初はちょっと頼りない影武者の二役を見事に演じられましたが、
(みたことのない方はお勧めです)今度は父親の信虎役。
泰然たる雰囲気を持つ仲代さんが、暴君といわれる信虎をどのように見せてくれるのか、
今から楽しみです。


ところでその出演者発表とは全く別に、気になったことが一つ。
それは、私以外の男性陣が武田信玄よりも上杉謙信の方が好きだということ。
特に編集長はデスク上にミニチュアの「毘」の旗を掲げているほど(写真)。
編集部内で川中島合戦の様相を呈してます。
最近私も上杉謙信が好きになってきましたが、
それでもまだ武田信玄の方が好きです。
今のところ劣勢ですが最後は、史実通り引き分けに持ち込みます!


みなさんは信玄派?謙信派?どちらがお好きですか?(村)

2006年07月20日

「さんま」と「しらす」

昨夜、テレビで「明石家さんま、白洲次郎に会いに行く」という番組を観ました。
なぜさんまさんが白洲次郎を好きなのか? と思いましたが、
そのきっかけは語られませんでしたね。
しかし、宮沢喜一元首相があまり昔のことを話さない方だとは聞いていたのですが、
さんまさんをもってしても、ほとんど話を引き出せないものなんですね。
今や戦後の政界の裏側にいた時代の白洲次郎を知る、唯一の人なのでしょうから、
詳しい話が聞けなかったことは残念です。


面白かったのは白洲次郎のお孫さんのお話。
子供のころ、白洲次郎の肩を揉みながらいろいろ話を聞いていたらしいのですが、
思ったことを率直に口にする癖を譲り受けてしまい、
社会に適応するのに苦労した……という意味のことを苦笑しながら話されていました。


さて、一つ気になったのは「白洲」の発音です。
私は しらす と平板に発音しているのですが、
(「師走」と同じイントネーションですね)
番組のナレーションの江守徹さんは、

 らす
と、「し」にアクセントをおいて発音してらしたのです。
あまりに瑣末なことで、改めて追加取材をするのも憚られるのですが、
本人はどちらを使ってたんでしょうね。(横)

2006年07月18日

怪談に脅える人々

以前、誌面に掲載するために、何かといわくのある平将門の首塚を撮影したところ、
滅多に病気にならない編集長が高熱を発し、後輩部員がある病気で手術をするなど、
編集部内に不穏なことが相次ぎました。
しかし、私だけは何の異変もなかったため、たいへん恨まれることとなりました。


さて、次号の編集後記にも少し書いたのですが、
私は今、8月6日発売の9月号で、「怪談」特集を手がけています。
その中の「東京鳥肌散歩」という企画で、都内の怨霊スポットを幾つか訪ねたのですが、
将門の時の例があるためか、編集部のみんなが異常に怖がっているのです。
ちゃんと不測の事態がないように、四谷のお岩稲荷神社にもお参りしてきたのですが、
みんな「変なものつれてくるなよ」「何かあったらお前のせいだ」と、脅えるばかりです。


ただ、怖がるくらいならいいのですが、
「家のテレビが壊れた」
「変なものを食べ過ぎて、腹をこわした」
「昼食時に注文したものが来るのが遅かった」
ことまで、私のせいにしないでくださいね、M君。
それこそ、幽霊たちに怒られますよ。
今のところ、たいした異変は起こっていないのですから。(横)


と思っていたら、うちの娘が熱を出しました・・・。

2006年07月05日

そりゃジイさん! あんたの理屈だ!

「そりゃジイさん! あんたの理屈だ!」
今、編集部で「一度使ってみたいセリフ」として、ひそかに流行っている言葉です。
この言葉はもともと、8月号の特集で採り上げている
白洲次郎という人物が発した言葉でした。
白洲次郎といえば、これまではエッセイスト白洲正子の伴侶として
語られることが多かった人物です。
背が高く、顔もめちゃくちゃ格好いい。
イギリス留学で完璧な英語と紳士的な態度、お洒落さも身につけ、
「ジーンズを初めて穿いた日本人」という称号さえあります。
「日本一格好いい男」という表現も、よく使われているくらいです。
しかし、白洲次郎の格好よさは、何も見た目だけではありませんでした。


日本人が敗戦と占領の屈辱に意気消沈していた昭和二十年冬
当時、天皇をも超える絶対権力者であった連合国軍最高司令官マッカーサーを、
面と向かって叱り飛ばした日本人がいました。
その男こそ白洲次郎です。
「戦争には負けたけれども奴隷になったわけではない」が口癖だった次郎は、
日本人離れした体躯と英国流のダンディズムで、
アメリカ人と相対しても位負けしませんでした。
次郎はGHQ要人に「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめたように、
勝利者におもねらず、矜持と誇りをもって占領者と交渉を続けました。
常識からいえば、一見破天荒なように見える彼の行動には、
いつもすっきりと一本、際立った筋が通っていました。
それこそ、次郎が生きる上で常に守りつづけた原則「プリンシプル」でした。
正義感が強く、曲がったことが嫌いで、ウソをつかない。
虎の威を借る尊大な人間を蛇蠍のごとく嫌い、それでいて女や子供には無類にやさしい。
まさに「昭和の侍」ともいうべきこんな男が占領下の日本にいたことは、
今の我々にも勇気を与えてくれるではありませんか。


「そりゃジイさん!」のセリフは、
白洲次郎が政策で対立した、30歳以上年上の人物に発した言葉ですが、
間違っていると思う相手に、そう言い放てたらどれだけ痛快でしょうか。
しかし、白洲次郎ならぬ凡人の我々には、そんな言葉を言い放つ勇気が……。
なかなかその生き方は真似ができるものではありませんが、
彼のエピソードは、今の私たちに元気を与えてくれます。
ぜひ、この機会に白洲次郎という男の人生に触れてみてください。(横)