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2006年11月21日

総力特集『硫黄島と栗林忠道』制作快調!?

硫黄島2.jpg

「歴史街道 1月号(12月6日発売)の特集は、
「硫黄島と栗林忠道」を予定しております。

11月21日時点で校了も半ばまできたところです。
企画を出したのが、8月末でしたから、もう三カ月も
「I-OU-TO」に関わってきたことになります。

その間、硫黄島への渡航を試みて果たせず、
生還された兵士への取材も実現できないなどありましたが、
仕事上の男の苦労話ほど無粋なものはないので…、
やめておきましょう。

戦後生まれの特に若い世代では、「硫黄島」と聞いてもどこにあるのか、
あるいは、そこで戦争があったと聞いても、「どこの国とどこの国が戦ったの」
という疑問も持たれる方もいるかもしれません。
(←実際、私の周りにもそういう人がいてショックでした…)

私自身も硫黄島の戦いに関する知識は、“戦記物的”なものにとどまっており、
その戦いの指揮をとった「栗林忠道」という人物についてはまったく知りませんでした。

今回、あらためて硫黄島の栗林と二万将兵の戦いぶりを知り、
思わず襟を正したくなる気持ちにとらわれました。

そうした気持ちをもつことは、より正しく生きる意味でも、
大切なことだと思います。(永)

泣きっ面に蜂

風邪である。
土曜日の油断がたたってしまった。
頭痛、発熱、咳、鼻水のオールスター総出演である。
しかしタイミングが悪い。悪すぎる。
編集部は昨日から最終校了なのだ。
槍が降ろうと休むわけにはいかない。
さすがにゆうべは校了日にしては早めに帰り、
薬局で、体温計やら熱さましやらを買った。
ただ、なぜか食欲.は落ちない。ゆうべも体力をつけようと
栄養価の高いものを随分食べてしまった。
風邪をひいたために、体重増……?泣きっ面に蜂である。(辰)

2006年11月20日

歴史街道、初の試み!

いきなりですが、皆さんは下の問いにいくつ答えられますか?


Q1 古代っていつからいつまでですか?
Q2 いつから天皇と呼ばれるようになったのですか?
Q3 聖徳太子の本名は何ですか?


素朴な質問ですが、古代史好きの人でもいざ聞かれてみると、
答えにつまるのではないでしょうか?
12月6日発売の1月号の特集2では、そんな古代史に関する素朴な疑問、
一歩踏み込んだ質問に、歴史作家・関裕二先生にお答えいただき、
計100個のQ&Aにまとめてみました。
先生独自の鋭い推理も交えていますので、
古代史の初心者だけではなく、
古代史ファンも大いに楽しんでいただけると思います。


Q&A形式は歴史街道初の試みです!
現在鋭意制作中ですが、どんな特集になっているのでしょうか。
是非ご期待下さい。


ところで、今回の特集には「ヒロシくん」なる謎の人物が登場します。
実は、彼にはモデルがいるのですが・・・
その話はまた後日にしましょう。


ちなみに総力特集は「硫黄島と栗林忠道」です。
そちらも乞うご期待!(村)

2006年11月16日

「硫黄島からの手紙」記者会見

IMG_5360.JPG

試写会に引き続き、「硫黄島からの手紙」(12月9日公開)の
記者会見を取材してきました。
この日の出席者は、
クリント・イーストウッド監督(73)
渡辺謙(47)
二宮和也(23)
伊原剛志(43)
加瀬亮(32)
他、脚本家などスタッフの方々です。


集まった記者たちの質問は、イーストウッド監督に集中。
イーストウッドはマスコミ嫌いとも会見嫌いともいう噂も聞いていたのですが、
終始にこやかに、聞かれたこと以上に話しつづけていました。
正直、こんなにしゃべる人だとは。
映画は終始英語ではなく、日本語の台詞で進行するのですが、
日本語であろうと、演技の良し悪しを判断するのに支障はなかったとのこと。
「演技とは、脳ではなく、ハートでするものだから」ということだそうです。


栗林中将を演じる主演の渡辺謙さんは、
「この映画に出演することになったとき、日本人として非常に重い責務を感じた」
「映画が完成して、この責務をみなさんとわかちあえるのがうれしい」
とおっしゃっていました。
また、映画の内容、描かれる栗林中将や日本兵たちについて現場で感じたことは、
毎日ノートにまとめ、毎朝そのノートを監督やスタッフに渡していたそうです。
二宮さんや伊原さんなども、思いついたアイデアはどんどん提案し、
監督もそれをどんどん受け入れていったとのこと。
映画を観て、あまり違和感を感じなかったのも、渡辺さん他出演者たちの
そうした努力があったからこそなんですね。
また、渡辺謙さんが監督のことを「クリント」と親しげに呼ぶのも印象的でした。


また、この「硫黄島からの手紙」、アメリカ公開が、
来年2月予定から12月20日公開へと繰り上げられることが決まったそうです。
これにより、前作の「父親たちの星条旗」とともに、
今年のアカデミー賞の候補作となります。
監督はアカデミー賞についての質問に、
「アメリカでの関係者への試写の反応もひじょうに良く、
一般の方も早く見たいという声が上がっている。
ただ、アカデミー賞については私たちが選ぶものではないので、何も言う立場にない」
と答えています。
二宮和也さんの演技が非常に評価が高く、助演男優賞候補になるのでは、
という噂も聞いていますが、そちらも楽しみですね。(横)

2006年11月15日

映画「硫黄島からの手紙」

硫黄島.jpg
12月6日発売の1月号の特集で、「硫黄島と栗林忠道」を採り上げるにあたり、いま話題の映画「硫黄島からの手紙」の試写会を観てきました。
これは、クリント・イーストウッド監督が手がけた、日米双方の視点から描いた、いわゆる「硫黄島二部作」の後篇、日本側の作品です。


まず驚かされたのは、脚本や台詞、ストーリーに大きな違和感がないこと。
アメリカ人のスタッフが作った映画だから、おかしなところもあるんだろうなという先入観を持っていたのですが、途中から日本映画を見ている気分になってきました。


物語は硫黄島の戦いを指揮した栗林中将(渡辺謙)と、何としても内地の妻のもとに帰ろうと思っている一兵卒の西郷(二宮和也)を中心に展開していきます。
日米の圧倒的な戦力差から、硫黄島の戦いは、
当初、5日もあれば終わるとされていました。
しかし、栗林は智略をもってこれまでの日本軍の常識を打ち破る戦法を打ち立て、
36日もの間、戦い抜いていきます。
しかし、それは死よりも苦しい戦いの幕開けでした。
彼らをそこまで戦い抜かせたものは、いったい何だったのか。
この映画はその答えを、観る者の胸に熱く語りかけてきます。


前作「父親たちの星条旗」でも思ったのですが、
戦闘シーンや自決シーンなど、映像は極めて衝撃的です。
見るのが辛いシーンもあるくらいです。
しかし、ストーリーから「あざとい」感動を一切排しているのは見事だと思いました。
むしろ、観客にあえて涙を流させないようにしているような気さえしました。
このストーリーをお涙頂戴の感動映画に仕立てるのは簡単だったでしょうが、
そうしないことで、かえって観客が、硫黄島の戦いというものについて、
そして戦争というものについて、一歩深く考えることを可能にしている気がします。


「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」
双方とも、敵方の事情がいっさい描かれないことも特徴です。
「父親たち~」の方では、そのおかげで、日本軍というものが日本人の私にとっても
不気味かつ、得体の知れないものとして感じられました。
おそらく、「父親たち~」を見たアメリカ人は、もっとそう感じたことでしょう。
しかし、「硫黄島からの手紙」のほうで、日本側の事情が細かに描かれるおかげで、
戦ってるのは、互いに同じ普通の人間なんだ、と気づかされていくのです。
その意味では、やはり両方を観ることをお勧めします。(横)

2006年11月13日

映画「早咲きの花」

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先日、映画「早咲きの花」の試写を観てきました。
豊橋市制100周年を記念して作られた映画で、原作は宗田理。
監督は菅原浩志、主演は浅丘ルリ子。

物語は…海外でピンホールカメラマンとして活躍するシュナイダー植松三奈子が、ある日遠からず失明することを医者から宣告された。三奈子は光を失う前に、自分が幼少時代を過ごした故郷の風景をピンホールカメラに収めようと、豊橋に帰ってくる。彼女は偶然に知り合った高校生の行彦と小枝子に、子供の頃の思い出を語る。それは戦時中、小学生の兄真次やその友人たちと過ごした、輝いていた時間だった…。

作品中、現代の高校生の小枝子が、「豊橋は何もない所と言われます」と言うと、三奈子(浅丘ルリ子)が、「昔はもっと何もなかった。でもとても豊かだった」と言うシーンがあります。
食べ物も着る物もろくにない戦時中ですが、人の心だけは豊かだった、という意味だと思います。確かに、作品で描かれる真次や三奈子の子供時代はきらきら輝いていました。
東京からの転校、泳げない真次への悪友たちの荒っぽい仲間入りの儀式、河原での石投げ合戦、畑でのスイカ泥棒……。たぶん当時どこででも見られた風景なのでしょうが、それがとても魅力的に感じられるのは、おそらくそれが現在は失われてしまったから。
今はある意味、物が豊かになりすぎて、人の手を借りずとも生きていける時代になりました。だから他人の干渉を嫌い、自由の名のもとに自分の中に閉じこもる。
でもほんの少し前まで、一人では生きていけない厳しい時代でした。生きるために、家族はもちろん友人や周囲と力を合わせ、必死で毎日を送った。他人の痛みを自分の痛みとし、自分が泣いている時、一緒に泣いてくれる人がいた。食べ物、着る物に不自由しても、気持ちはとても豊かだったのかもしれない、そんな気がしました。
戦争による残酷な結末はありますが、戦争の悲惨さ以上にこの映画の伝えたかったのは、
本当の意味の豊かさを次代に手渡すということではないでしょうか。
真次や三奈子の子供時代の笑顔から、そのメッセージは十分に伝わってきました。(辰)