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2007年01月31日

大谷吉継と島左近の意外な関係

「大谷吉継」の総力特集を組んでいる3月号は製作も終わり、
6日の発売を待つばかりとなっております。
さて大谷吉継について、残念ながら誌面では紹介しきれなかった逸話などを一つ二つ。
関ケ原の戦いにおいて、石田三成を支えたのが大谷吉継と島左近ですが、
吉継と左近の関係はどのようなものであったのかは、よくわかりません。
三成を介しての関係というだけで、直接の交流はなかったのかもしれない、
と思っていましたが、この二人に意外な関係が見つかりました。
というのも、左近の嫡子である新吉信勝が、
関ケ原本戦では、なぜか大谷吉継隊に入って戦っているのです。
幾つかの史料は、彼の奮戦ぶりをこう伝えています。


小早川秀秋が西軍を裏切って、松尾山を下りて大谷隊に押し寄せた時、
それに備えていた大谷隊は何倍もの敵を押し返し、
逆に退却する小早川隊を追撃にかかりました。
しかしその大谷隊の側面へ、藤堂高虎隊、京極高知隊が攻撃を仕掛けます。
この時、島新吉は、大声で名乗りをあげ、決戦を挑む者を求めます。
これに応じたのが、藤堂高虎の従兄弟、藤堂玄蕃でした。
壮絶な一騎打ちの末に、新吉が勝利を収め、大谷隊の士気は大いにあがったといいます。
その後、新吉は玄蕃の従者高木平三郎に討ち取られてしまいますが、
新吉は、父左近の名を辱めない立派な勇士だったのでしょう。


残念ながら、左近の嫡男がなぜ父のもとではなく、
吉継の配下となって戦っていたのかはわかりません。
しかし大事な嫡男を預けるにあたって、左近と吉継の間でどんな会話が交わされたのか、
それを想像してみるのも面白いかもしれませんね。
「信義」を知る男同士のやりとりは、きっと胸を打つものだったに違いありません。


新吉が大谷隊に属していることは、
昨年、島左近の特集をつくったときに読んでいるはずなのですが、
まったく記憶に残っていませんでした。
やはり歴史とはいろんな角度から見てみることで、新たな気づきがあるものですね。(横)

2007年01月25日

東郷平八郎も食べた? 岩手県宮古の「いか煎餅」

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前、岩手県宮古に帰省したとき、
「元祖 菅田のいか煎餅」という地元で一番有名なお菓子を、
お土産として買いました。
私も全然知らなかったのですが、
その箱の裏になんと「宮古湾海戦といか煎餅の由来」
という由緒が書かれていたのです。それによると、
箱館に籠る榎本武揚の旧幕軍を攻略にむかう途中、
新政府軍の艦隊は休養と補給のために宮古に寄港し、
新政府軍将兵の上陸によって町は賑わいました。
製菓業を営む菅田家初代吉太郎さんはそれをみて、
海産物を利用した珍菓を売り出そうと考えます。
それで、乾するめの煮出し汁で小麦粉、砂糖を固く煉り上げて、
それをカキモチ様に焼上げて売り出したところ、将兵に好評を博したそうです。
その後カキモチ様を煎餅に変えて、現在の「いか煎餅」が生まれたんだとか。


宮古湾海戦には、若き日の東郷平八郎も参戦しているので、
ひょっとしたら、食べていたのかも???
そうやって想像を膨らますのも面白いですが、
幕末・明治の市井の人の姿が思い浮かぶ魅力的な由緒書なので、
紹介させていただきました。
もちろん、お味の方もグッドです!(村)

2007年01月22日

総力特集「大谷吉継」鋭意製作中

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今年の東京の冬は、比較的あたたかいですね。
携帯のカメラなので、あまり綺麗には撮れませんでしたが、通勤途中で、もう梅が咲いていました。
うめ~は~咲い~たか、さく~らはまだかい~な♪
なんて口ずさみながら、この分では今年は桜も早いかな、と考えていました。


さて、話題はまったく変わりますが、「歴史街道」3月号(2月6日発売)では、
「大谷吉継」の特集を予定しております。
大谷吉継といえば、関ケ原で負けると思っていながらも、
友の石田三成のためにともに戦うことを決意したことから、非常に人気の高い武将です。
しかし、先日、少し不安に思うことが。
帰り道、社内の別の雑誌の編集部の者と電車に乗り合わせた時のことです。
「次、歴史街道は特集で何をやるんですか?」
と聞かれたので、
「大谷吉継だよ」と胸を張って答えました。すると、
「それって誰ですか?」
と聞かれてしまったのです。
まさか、大谷を知らないなんて……と思ってしまいましたが、
たしかに歴史の教科書に出てくるような人物でもないし、
学校の授業でしか歴史に触れたことがない、という人には馴染みがない人なんですね。
こういう歴史に関わる仕事をしていると、いろんなことが当たり前になってしまい、
そういう「普通」の感覚を失ってしまうことがあります。
すると雑誌の中でも、難しい専門用語を使ったとしても、
「これは当たり前」と思って説明を省いてしまったりすることがあるんですよね。
気をつけたいと思います。


ちなみにその彼は「直江兼続」も知りませんでした。
「兜に“愛”という文字をつけた戦国武将がいるんだよ」
といっても、信じてもらえませんでした。
これは昔、「トリビアの泉」で採り上げられていたくらいですから、
直江兼続も知らない人が多いんでしょうね。(横)

2007年01月19日

ドラマ「坂の上の雲」出演者発表

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昨日、NHKのスペシャルドラマ、「坂の上の雲」の出演者発表の記者会見に行ってきました。
このドラマは2003年に「スペシャル大河」として製作発表があったものの、その後いろいろあって、製作が遅れていたものです。
いったいどうなってしまうんだろうと思っていたのですが、今回、きちんと発表があって、私もほっとしました。


さて、気になる出演者は、
秋山真之に本木雅弘さん(41)、
兄の秋山好古に阿部寛さん(42)、
真之の幼なじみで俳人、正岡子規に香川照之さん(41)、
その妹、律に菅野美穂さん(29)
と決まりました。
奇をてらうことなく、イメージ通りの配役のようで好感が持てました。
やっぱり阿部寛さんは頭を剃るんだろうか、とかそんなことが気になったりして。


そして放送日なのですが、実は2009年秋(再来年)からスタートとのこと。
それも一度に放送するのではなく、2009年秋に第一部(5回)、
2010年秋に第二部(4回)、2011年秋に第三部(4回)と
分けて放送するそうです。(1回90分)
しかも今年の秋にクランクアップして、撮影にも3年もかけるということで、
従来にないかたちのスケールの大きいドラマになりそうです。
ずいぶん先の話ではありますが、楽しみに待ちたいと思います。
その前に、もう一度きちんと『坂の上の雲』を読み返さねばいけませんね。(横)

2007年01月05日

総力特集『山本勘助と武田信玄-風林火山に託した夢」                   内野聖陽さんと貫地谷しほりさんも登場!

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1月6日に歴史街道2月号を発売させていただきます。
総力特集は『山本勘助と武田信玄―「風林火山」に託した夢』です。
武田信玄と山本勘助は、戦国を代表する名コンビですが、
二人の前半生は実に不遇でした。
勘助は仕えるべき主を得ず、信玄は父・信虎に疎まれ廃嫡の危機。
しかし二人には、それぞれ諦めきれない夢がありました。
勘助は主君として仰ぐべき人物の下で、自分の兵法を存分に発揮すること、
信玄は乱世に幕を閉じ、仁政を布くということです。
二人は武田信虎の追放後、運命の邂逅を果たし、
戦国の世に勇躍しますが、
それは自分の力を発揮できる喜びが原動力となったのではないでしょうか。
そして、自分の能力を信じて夢を追う生き様が、互いを惹きつけたのでしょう。
戦国時代を大きく動かした主従の歩みと生涯を追いつつ、
人間が一番輝くときを描いた特集です。


なお、今号の特集内インタビューでは
大河ドラマ「風林火山」主演の内野聖陽さんに、
巻頭グラビアでは勘助の恋人・ミツを演じる貫地谷しほりさんにご登場頂き、
ドラマにかける意気込みや撮影中のウラ話をお話いただきました。
こちらも併せてご期待下さい。(村)

あけましておめでとうございます

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編集部は今日が仕事始めです。
みなさまはお正月、いかが過ごされましたでしょうか。
私は年末から実家に帰り、おせち料理を食べたり、初詣に行ったり、テレビで箱根駅伝を見たりと、非常にスタンダードなお正月を送りました。


写真は我が家のおせち料理です。私も少々ですが、つくるのを手伝いました。


数の子、ごまめ(田作)、蓮根、くわい、金時にんじん、黒豆、里芋、ふき、たけのこ、栗きんとん、こんにゃく、などなど。
お雑煮は白味噌で、中に入るのは「丸餅」です。
我が家の特徴は、棒鱈(ぼうだら)の煮物でしょうか(左のお重)。


棒鱈とは、マダラの干物のこと。
北海道近海でとれたマダラは日持ちがしないため、干物として流通され、
昔は宮中への献上品となっていたそうで、
江戸時代は北前船で関西方面へと運ばれたそうです。
わが家はもともと京都出身のため、この棒鱈は当たり前だったのですが、
東京に来ると、その存在すら知らない人が多いので驚きました。
「食べてみたい」という方は、京都に行かれたときに、
八坂神社近くの円山公園の中にある、
「いもぼう平野家本家」さんに行かれるのがいいかと思います。
これまた珍しい食材である「海老芋」と一緒に棒鱈を炊いた、
「いもぼう」という名物料理があります。
海老芋はもともと九州で取れる里芋の一種だったそうで、
平野家さんの初代当主が九州行幸に付き添った際に、京都に持ち帰ったとのこと。
北海道の棒鱈と九州の海老芋が京都の料理人によって出合って、
京都の名物料理になったというのも、なかなか面白い取り合わせですね。


昨年の4月に始まったこのブログも、初めてのお正月を迎えました。
とはいえ、本日よりお正月気分を抜いて、仕事にとりかかります。
今年も「歴史街道」と当ブログをよろしくお願い申し上げます。(横)