大谷吉継と島左近の意外な関係
「大谷吉継」の総力特集を組んでいる3月号は製作も終わり、
6日の発売を待つばかりとなっております。
さて大谷吉継について、残念ながら誌面では紹介しきれなかった逸話などを一つ二つ。
関ケ原の戦いにおいて、石田三成を支えたのが大谷吉継と島左近ですが、
吉継と左近の関係はどのようなものであったのかは、よくわかりません。
三成を介しての関係というだけで、直接の交流はなかったのかもしれない、
と思っていましたが、この二人に意外な関係が見つかりました。
というのも、左近の嫡子である新吉信勝が、
関ケ原本戦では、なぜか大谷吉継隊に入って戦っているのです。
幾つかの史料は、彼の奮戦ぶりをこう伝えています。
小早川秀秋が西軍を裏切って、松尾山を下りて大谷隊に押し寄せた時、
それに備えていた大谷隊は何倍もの敵を押し返し、
逆に退却する小早川隊を追撃にかかりました。
しかしその大谷隊の側面へ、藤堂高虎隊、京極高知隊が攻撃を仕掛けます。
この時、島新吉は、大声で名乗りをあげ、決戦を挑む者を求めます。
これに応じたのが、藤堂高虎の従兄弟、藤堂玄蕃でした。
壮絶な一騎打ちの末に、新吉が勝利を収め、大谷隊の士気は大いにあがったといいます。
その後、新吉は玄蕃の従者高木平三郎に討ち取られてしまいますが、
新吉は、父左近の名を辱めない立派な勇士だったのでしょう。
残念ながら、左近の嫡男がなぜ父のもとではなく、
吉継の配下となって戦っていたのかはわかりません。
しかし大事な嫡男を預けるにあたって、左近と吉継の間でどんな会話が交わされたのか、
それを想像してみるのも面白いかもしれませんね。
「信義」を知る男同士のやりとりは、きっと胸を打つものだったに違いありません。
新吉が大谷隊に属していることは、
昨年、島左近の特集をつくったときに読んでいるはずなのですが、
まったく記憶に残っていませんでした。
やはり歴史とはいろんな角度から見てみることで、新たな気づきがあるものですね。(横)



