私にもいわせて…関ケ原!
編集部に異動して間もない昨年二月ごろ。初めて関ケ原にいってきました。
そこで私が驚いたのは、布陣は東軍に比べ、西軍が圧倒的に有利であること。
石田三成が布陣した笹尾山からは関ケ原が一望できますし、
一方で徳川家康が布陣した桃配山は周囲を西軍に囲まれ、
なんでこんな危ないところに…との思いを強くしました。
明治期にドイツより招かれたメッケルは、
関ケ原の東西両軍の布陣図をみて即、
「西軍勝利」といったそうですが、現地にいけば素人でもそう判断できます。
さらに驚いたのは、小早川秀秋が布陣した松尾山についてです。
去就の定まらぬ秀秋を脅すため、家康は松尾山に鉄砲を撃ちかけさせたと
いいますが、松尾山は麓から山頂まで歩いて40分ぐらいあり、
実際に効果的だったかといえば、そうとう疑問です。
これまで私が小説や漫画で得たイメージでは、
野戦得意の家康が三成を関ケ原に引きずりだし、
またさすが、なるほどと信じていたのですが、
現地を訪れてみると、そもそも、関ケ原は大軍が自由に動けるほど広くなく、
真実は逆だったのではないかと思った次第です。
少なくとも、家康は自ら好んでこの地にやってきたのではない…
確かに、家康は西軍の中の一部の将に寝返りを仕掛けていました。
しかし、合戦当日まで実際はどうなるかわからず、あまりに不確実性
が高すぎて、逆に慎重な家康らしくありません。
なんとなく時の勢いというものが、三成と家康を関ケ原に呼び寄せたの
かもしれません。
みなさまはどう思われますか。 (永)