小栗忠順と東郷平八郎。

日露戦争後の明治45年、
東郷平八郎は「日本海海戦に勝利できたのは、
小栗忠順(ただまさ)が横須賀に製鉄所、
造船所を建設してくれていたお陰じゃった」とし、
遺族を前にお礼を述べたそうです。
小栗忠順は大政奉還後も新政府軍への徹底抗戦を主張し、
恭順を申し出ていた徳川慶喜に疎んじられて
上野国(群馬県)で家族と静かな生活を送っていたところ、薩長軍にとらえられて
首を刎(は)ねられてしまったという悲劇的人物で、恭順派の勝海舟とよく比較されます。
小栗が建設を指揮した横須賀製鉄所は当時アジア最大級のもので、
後に明治新政府の海軍工廠となり、
ここから日本の近代化に尽くす多くの技師が育ちました。
近代化に邁進(まいしん)したのは、薩長だけでなく、
幕府もまたそうであったことは今日よく知られていますが、
小栗はその代表的人物といえます。それだけに、
明治新政府には都合の悪い人だったのかもしれません…。
明治も40年がすぎてから、小栗の名誉は回復され、
遺族は感泣したそうです。(永)
※ご指摘を受けて、誤った箇所は削除しました。
(写真:東郷胸像、撮影:米里耕治、東郷記念館にて)