東郷平八郎がいた。

すべからく情報収集とはそういうものかもしれませんが、
体系的でなく、アトランダムに興味の赴くまま、企画の
材料を探すことになります。
そうした過程のなかで、何か直感ともヒラメキとも
思いつきとも違うような、自分の「思い込み」を軸に、
今度はそこから思い切り円を描いていき、
最後に無駄を省いてやっと一つの特集ができあがります。
3月6日発売の弊誌「歴史街道」4月号の総力特集は、
東郷平八郎です。
率直にいって戦後、東郷についてはその偉大な功績に反して、
あまり語られてこなかった人といえるでしょう。
これは晩年、艦隊派に担がれて日米戦争の原因をつくってしまったというイメージが
あるからかもしれませんね。
しかし、そこで思考停止せず、東郷の生涯を生まれから調べていくと、
そこにはかつて日本がイギリス、アメリカと並んで三大海軍国であった
時代の、まぎれもない一人の「英雄」がいました。
数えで17歳の時の初陣薩英戦争から、戊辰の役を戦い抜き、イギリスに
八年も留学して近代海軍について学び、日清戦争(豊島沖海戦、黄海海戦、
威海衛夜襲)、清仏戦争(軍艦「天城」に乗って現地を視察)、日露戦争
(旅順口閉塞作戦、黄海海戦、日本海海戦)でつねに艦橋にあって陣頭
指揮し、晩年も皇太子(昭和天皇)の教育に尽くした伝説の海将…。
そんな東郷は、たんに古今比類なき「勇将」であるとも、あるいは西洋近代の知識で
武装した「智将」であるとの当初の「思い込み」を気持ちよく粉砕してくれた、
将に将たる人物でした。まさに、東郷平八郎は東郷平八郎であったのです…。
どうぞ、お楽しみに。(永)
(写真:鹿児島 、多賀山公園 の東郷平八郎像、 撮影:田中五郎)