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2008年02月19日

「歴史街道」真珠湾編(最終回)

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昨年来、だらだらと書き続けてきた「真珠湾編」も
今回でひとまず最後とさせていただきます。

さて、アリゾナ記念館に続き、ボーフィン博物館を
見学しおわったツアー客一行は、帰りのバスに乗り、
ホテルへの帰途につきました。

途中、日系ガイド氏の案内により窓の外をみると、
一瞬ちらっと、石油タンクが並んでいるのが見えました。
(急なことだったので、カメラのシャッターを押せず…)
ガイド氏によると、その石油タンク群は当時も今も
まったく 同じ場所にあるのだそうです 。


日本海軍の機動部隊による真珠湾攻撃をめぐっては、
停泊中の戦艦を叩いたあと、 さらに石油タンクやドックを
狙わなかったことがつねに問題となります。

この時、連合艦隊司令長官の山本五十六は、
電報などで第二回(第三次)攻撃を督促すべきだったところ、
「南雲はやらんよ」といってすませたともいわれています。


そのガイド氏も、我々ツアー客への説明として、
「日本軍は石油タンクを攻撃せず、慌てて逃げ去った」
ということを強調していました。

また、機動部隊が撃沈した4隻の戦艦にしても、
真珠湾は水深が浅いため、加えてドックが無傷に残っていたために、
ただちに引き上げられて修理され、完全に失われたのは
2隻にすぎなかったとの説明もありました。


そもそも、アメリカでは人命の損失を最大の問題にしており、
艦船や航空機の被害はあくまで「二次的」なものとして扱われているのですが、
(当時の日米の工業力の差を考えれば)
それにしてもたいした損害ではなかったというわけです。


最後に一つだけ…。

日本海軍の真珠湾攻撃においては民間人を
標的にしなかったことがよくいわれるのですが、
私がアリゾナ記念館で購入した小冊子には
自動車ごと銃撃されて死亡した市民の写真がのっており、
ここでも日米ギャップに気づかされたのでした。


まだまだ、かの地で思い知った事は多々あるのですが、
いずれ整理して、まとめたいと考えています。(永)

(写真:アリゾナ・メモリアルを振り返って)

2008年02月06日

「歴史街道」3月号発売!

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本日で(2月6日)、歴史街道3月号が発売となります。
総力特集は、「本多平八郎忠勝」。

いわずと知れた徳川四天王の一人であり、
得物(愛用の武器)は蜻蛉切(とんぼきり)、
駿馬(しゅんめ)・鬼鹿毛(おにかげ)にのって戦場をはしること
五十余度、 一度もかすり傷を負わなかった
という無双の勇士です。

敵方の武田軍からも、
「家康に過ぎたるものが二つあり、唐(から)の頭(かしら)に本多平八」
とうたわれた武将でした。

そのキャラクターが発する「魅力」に以前から興味を覚え、
ひそかに資料を集めたりしていたのですが、
忠勝についてまとめた本は意外と少なく、
難儀をいたしました。

それでも、資料が少ない⇒
でも(だから?)やるという、
Y氏が「軍師・島左近(2006年5月号)」以来、
切り拓いてきた手法と発想に学びつつ、
なんとか完成にこぎつけました。

そのぶん、オリジナル度の高いものができたと感じております。

また今回は、イラストレーター・諏訪原寛幸氏に、
小牧・長久手の合戦時において、
忠勝が川を挟んで秀吉の大軍を挑発する絵を
書き下ろしていただきました。

これが思わず、ひと晩そのイラストを胸に抱いて寝たい
ほどのかっこよさなのです。

戦国街道の「夢」、どうぞお楽しみいただければ幸いです。(永)