「歴史街道」真珠湾編(最終回)

昨年来、だらだらと書き続けてきた「真珠湾編」も
今回でひとまず最後とさせていただきます。
さて、アリゾナ記念館に続き、ボーフィン博物館を
見学しおわったツアー客一行は、帰りのバスに乗り、
ホテルへの帰途につきました。
途中、日系ガイド氏の案内により窓の外をみると、
一瞬ちらっと、石油タンクが並んでいるのが見えました。
(急なことだったので、カメラのシャッターを押せず…)
ガイド氏によると、その石油タンク群は当時も今も
まったく 同じ場所にあるのだそうです 。
日本海軍の機動部隊による真珠湾攻撃をめぐっては、
停泊中の戦艦を叩いたあと、 さらに石油タンクやドックを
狙わなかったことがつねに問題となります。
この時、連合艦隊司令長官の山本五十六は、
電報などで第二回(第三次)攻撃を督促すべきだったところ、
「南雲はやらんよ」といってすませたともいわれています。
そのガイド氏も、我々ツアー客への説明として、
「日本軍は石油タンクを攻撃せず、慌てて逃げ去った」
ということを強調していました。
また、機動部隊が撃沈した4隻の戦艦にしても、
真珠湾は水深が浅いため、加えてドックが無傷に残っていたために、
ただちに引き上げられて修理され、完全に失われたのは
2隻にすぎなかったとの説明もありました。
そもそも、アメリカでは人命の損失を最大の問題にしており、
艦船や航空機の被害はあくまで「二次的」なものとして扱われているのですが、
(当時の日米の工業力の差を考えれば)
それにしてもたいした損害ではなかったというわけです。
最後に一つだけ…。
日本海軍の真珠湾攻撃においては民間人を
標的にしなかったことがよくいわれるのですが、
私がアリゾナ記念館で購入した小冊子には
自動車ごと銃撃されて死亡した市民の写真がのっており、
ここでも日米ギャップに気づかされたのでした。
まだまだ、かの地で思い知った事は多々あるのですが、
いずれ整理して、まとめたいと考えています。(永)
(写真:アリゾナ・メモリアルを振り返って)