元親の菩提寺・雪蹊寺にて
土佐取材2日目の最初に訪れた場所は、雪蹊寺(せっけいじ)です。
長宗我部元親の菩提寺であり、嫡男・信墓の墓所も
この寺にあります。
天正14年(1586)、島津攻めの際、戸次川の戦いで戦死した
信親の最期は、悲劇的なものでした。
功をはやる秀吉の軍監・仙石権兵衛秀久は、島津の大軍を相手に
無謀な渡河作戦を敢行し、惨敗を喫してしまったのです。
この時、長宗我部信親は1000の土佐武士を率いていましたが、
そのうち700余がともに戦死しました。
負傷者も相当いたでしょうから、まさに全滅です。
一方、元親は秀吉から拝領した名馬・内記黒(ないきぐろ)に乗って、
窮地を脱したといわれます。
このエピソードは、「三国志」における曹操の愛馬・絶影(ぜつえい)、
または、劉備の同じく的盧(てきろ)を想起させます。
あるいは、乱戦の中、信親の最後の思いが天に通じ、内記黒を奔らせたのでしょうか。
ちなみに、雪蹊寺に隣接して、明治になって一時、雪蹊寺が廃寺になった時、
元親を祭神として建てられた秦(はだ)神社がありました。
また、その秦神社の裏手の山が、元親が初陣の際、長宗我部氏が
本山氏から奪った長浜城跡だったりと、見どころがいっぱいの地でした。つづく…。(永)