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2009年10月14日

臨水

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岡豊城周辺の取材を終えた後、高知市街に戻り、
遅いお昼を土佐藩主山内家邸跡に建つ
臨水(りんすい)で頂きました。
創業80余年の由緒ある料亭でした。
かつおのたたきと、てんぷらがついた食事膳2,100円は、
東京人の感覚ではリーズナブルといえましょう。
部屋からみえる鏡川ではシジミをとっている人がいました。


食事を終えたところで、美人女将が登場。

「明治・大正の建物はたくさんあれど、
 昭和22年の終戦直後に(臨水を)建てた
 ところが土佐人の心意気でしょう」
「先日まで、台湾の李登輝さんがいらして
 いたのよ。坂本龍馬の船中八策の大ファン
 なんですって」

館内も案内していただき、ケヤキの欄干に
「山内一豊公お国入り由来記」が彫り込まれているお部屋も
見せていただきました。
隣接したお部屋には「忠臣蔵」が掘り込まれた欄干もあったのですが、
なぜ高知で「忠臣蔵」?
冗談なのか、本当なのか、その答えを女将から聞いた時は、
さずがに絶句しましたが、それもよい思い出です。
(気になる人は、直接、臨水にいって、女将に聞いてみてください)。

その後、龍馬生まれたまち記念館にいって、龍馬の生涯のおさらいです。
それまで知らなかったのですが、龍馬は比較的裕福な家の生まれだったのですね。
それがあの屈託のない龍馬の人柄につながっていたのかもしれません。

来年は大河ドラマ「龍馬伝」の放映が予定されており、
臨水をあとにする時、女将から「高知をよろしくお願いします」といわれました。
こちらこそ、「歴史街道をお願いします」という感じでしたが。

一領具足の末裔である郷士たちが、
再び幕末の動乱の世に踊り出て行く。
さらにその動きは、明治でも終わりませんでした。
「自由は土佐の山間より」
そこに土佐の歴史のつきぬ面白さがあるのだと、
この取材旅行で感じました。

ブログ・長宗我部編はこれにてひとまず完結といたします。
ご愛読ありがとうございました。
(永)

2009年10月13日

土佐国分寺金堂にて

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岡豊別宮八幡宮の後は、
土佐国分寺へ。
金堂は永禄元年(1558)、
元親による再建です。
土佐神社とともに、元親の功績を
伝える文化財として、評価の高い史跡です。

戦国大名の居城跡といっても、
開発が進んで往時を偲ぶのが難しいところも多い中、
岡豊城跡とその周辺は、いまも当時の風景を感じさせてくれる
場所で楽しめました。つづく…。(永)

2009年10月09日

岡豊別宮八幡宮にて

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岡豊城の撮影が終わった後は、
その北東、
岡豊別宮(べっく)八幡宮に
向かいました。
出陣に際し、元親が常に戦勝を
祈願した八幡宮で、
長宗我部ゆかりの品を多く所蔵
していたそうですが、大正年間の
大火で大半が焼失してしまった
そうです。
神殿は石段を登った山頂に
あるのですが、
入り口がわかりにくい上に、
石段がとてつもなく長く、この日の
体力の80%はここで費やして
しまったような気がしました。

不思議なことに山頂には
クルマの車輪跡があり、
石段とは別にクルマで
来られるルートが存在するのかもしれません??

ちなみに神職をつとめた谷家の有名な子孫として、
谷干城(たてき)がいます。

土佐藩士の谷干城は、龍馬暗殺の際は現場にかけつけて
重傷の中岡慎太郎から証言を聞き、西南戦争時には熊本
鎮台司令官として、薩軍の猛攻を凌いだ人物です。

その熊本籠城の際、干城の夫人の玖満子(くまこ)は
塀を乗り越えておはぎをつくり、将兵を慰労したといいます。

歴女ならぬ烈女ですね。

剛毅な谷干城もこれだけは恐れたものとして、
天子と地震、そしてもう一つ挙げたそうですが、
何だと思われますか。

答えはいわずもがなですよね。

この逸話を知ったとき、私は一人で爆笑するとともに、
思わずアズマの方向を見て背筋がのびる気がしました。(永)

2009年10月08日

岡豊城を望む

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土佐神社の見学を終わった後は、
再び岡豊城へ。
全景を撮影するべく付近をウロウロし、
おさめたのがこの写真です。
手前を流れるのは天然の外堀をなした国分川で、
浦戸湾に注ぎます。
近年、堤防整備の際に船つき場が見つかったとか。
浦戸湾に揚陸された物資を搬送していたのでしょうか。
岡豊城の上から見る香長平野もよい眺めでしたが、
逆に国分川から見上げる岡豊城も、
(かなりの想像力を要しつつも)
戦国のロマンを感じさせました。つづく…(永)

2009年10月07日

土佐神社にて②

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土佐取材のつづきです。

土佐神社では、突然の訪問だったにもかかわらず、
禰宜の方にていねいにご対応をいただき、
神社と長宗我部元親の由来について、
説明いただきました。

土佐神社は元親の凱旋報告の場であると同時に、
軍評定の場でもあったそうです。

400年の時を経て、いま同じ場所に立っている…。
そう思うと、じつに感慨深いものがありました。

撮影中、うら若き女性4人組が表われ、
興味深そうに見学をしておりました。
長宗我部人気の広がりを実感しました。

(写真:手前の女性が見つめる視線の先には、
元親の肖像があります)

つづく…。(永)

2009年10月06日

<PR>「歴史街道」11月号・本日発売!

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本日、「歴史街道」11月号が発売となります。
総力特集は、「長宗我部元親と盛親」です。

土佐の一隅・わずか3000貫(1万5000石程度)の
領地から、一時は四国全土を平定する勢いを見せた元親。

権謀術数にたけており、また天下の軍勢を相手にしても
あくまで戦わんとする、ある意味で、最も戦国武将らしい
戦国の漢(おとこ)といえます。

直江兼続や石田三成など、これまで歴史街道が
追いかけてきた「義将」とはまた違う魅力が、
そこにはあるといえましょう。

そして元親の四男・盛親。

関ケ原合戦後、土佐一国を失う憂き目にあいながらも、
雌伏十数年。大坂の陣で采配をふるい、
見事、土佐武士の意地を見せました。

本特集は、そんな長宗我部父子の
「野望」と「夢」を追いました。

お楽しみ頂けたら幸いです。(永)

2009年10月05日

土佐神社にて

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土佐2日目のカメラ撮影日も快晴でした。
前日の酷使がいけなかったのか、
カメラマンの近戸さんのクルマがパンク
していたアクシデントがありましたが、
近くのガススタンドですぐにリカバーします。
最初に向かったのは、土佐国の一ノ宮・土佐神社。
本殿、幣殿、拝殿は長宗我部元親の再興、
鳥居、楼門、鼓楼は二代藩主山内忠義による増築という、
由緒ある神社です。
歴史の匂いがしました(byワタナベスナフ氏)。

さて、今回の撮影で困ったのは、やぶ蚊の大群に襲われたこと。
長袖を着ていくべきだったのですが、日中気温が上がりすぎて無理。

夏の取材の際は虫除けスプレーを、といつも思いながら、
今回も忘れてしまいました。


とくに近戸さんはカメラのシャッターを押すまで動けないので、
蚊に刺されまくっていました。

今回は土日を使っての撮影取材だったため、
近戸さんの娘さんにもさびしい思いをさせてしまったようです。
9月にはシルバーウィークがあった関係で、
日程的にかなりのハードスケジュール
になってしまいました。

関係者の妻子を泣かせながら、「歴史街道」11月号はできていきました。
この場をかりて、お詫び申し上げます。

つづく…。(永)

2009年10月02日

安芸氏の菩提寺・浄貞寺にて

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高知市浦戸周辺の史跡めぐりが
ひと通り終わった後、
浦戸大橋を渡り、安芸へと向かいました。
桂浜から安芸城までは、
クルマで1時間程度。
前日と同じく安芸城遠景を
カメラマンの近戸さんに撮影して
もらった後、安芸氏の菩提寺・浄貞寺へ。


そこには元親に敗れ、自害した安芸国虎の墓のほか、
国虎の「太刀洗いの池」がありました。
お寺全体に、なんとなく敗者の悲しみを感じさせる雰囲気が漂っており、
それまで快晴だった天候が急に崩れたのも印象に残りました。
本日の撮影はこれにて終了。

夜は、近戸さんと大衆ホルモン酒場「炭丸」というお店に。
昭和の名曲が流れるレトロな雰囲気にひかれ、
ふらりと入ったお店でしたが、おいしくて満足でした。
マルチュウなるものを初めて食べましたが、
いまだにどこの部位かわかりません…。

その後、ホテルに戻ってノートパソコンで原稿書き。
電話もならず、密室空間の中、いつもより能率が上がった
気がました(これを「ホテル3倍の法則」と名づることに)。
聞けば、近戸さんもホテルにパソコンを借りて、
深夜まで写真の整理をされていたとか。
今回は、超タイトな日程でお仕事をお願いしてしまい、
あらためて恐縮してしまいました。
つづく…。(永)

2009年10月01日

龍馬と元親

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石丸神社の見学が終わった後は、
浦戸城天守跡や坂本龍馬の
銅像が建つ
桂浜公園をめぐりました
(駐車代400円)。
太平洋を見つめる龍馬像の周りにはたくさんの人で溢れ、
皆うれしそうな顔で
記念撮影していました。

龍馬は浦戸湾の入り口・
種崎方面に親戚がおり、
少年時代から
たびたび訪れていたそうです。

浦戸湾で早くから海と異国船を見て育った龍馬は、
いつの日か船体を
率いて外洋へ
と乗り出していく日々を、
夢見ていたのでしょう。


ちなみに、幕末の英外交官アーネスト・サトウは、
浦戸湾の松並木や砂浜を見て、
セイロン島の港、ポアン・ド・ガル湾を思い起こしたと、
著書に記したそうです。

浦戸湾の重要性は、戦国時代も同じで、
元親の初陣となった永禄3年(1560)の
本山氏との戦いも、もとはといえば、
浦戸湾口の海上支配権をめぐって生起したものでした。

やがて元親は海運を通じて、土佐国と
他国との交易を積極的に図り、国を富ませていこうと考えます。

龍馬と元親。
二人に共通するのは、海の先にある何かを望む、
そんな土佐人ならではのDNAなのかもしれません。
つづく…。

参考:(財)高知観光コンベンション協会「ゆるり 土佐時間」