岡豊別宮八幡宮にて
岡豊城の撮影が終わった後は、
その北東、
岡豊別宮(べっく)八幡宮に
向かいました。
出陣に際し、元親が常に戦勝を
祈願した八幡宮で、
長宗我部ゆかりの品を多く所蔵
していたそうですが、大正年間の
大火で大半が焼失してしまった
そうです。
神殿は石段を登った山頂に
あるのですが、
入り口がわかりにくい上に、
石段がとてつもなく長く、この日の
体力の80%はここで費やして
しまったような気がしました。
不思議なことに山頂には
クルマの車輪跡があり、
石段とは別にクルマで
来られるルートが存在するのかもしれません??
ちなみに神職をつとめた谷家の有名な子孫として、
谷干城(たてき)がいます。
土佐藩士の谷干城は、龍馬暗殺の際は現場にかけつけて
重傷の中岡慎太郎から証言を聞き、西南戦争時には熊本
鎮台司令官として、薩軍の猛攻を凌いだ人物です。
その熊本籠城の際、干城の夫人の玖満子(くまこ)は
塀を乗り越えておはぎをつくり、将兵を慰労したといいます。
歴女ならぬ烈女ですね。
剛毅な谷干城もこれだけは恐れたものとして、
天子と地震、そしてもう一つ挙げたそうですが、
何だと思われますか。
答えはいわずもがなですよね。
この逸話を知ったとき、私は一人で爆笑するとともに、
思わずアズマの方向を見て背筋がのびる気がしました。(永)