臨水
岡豊城周辺の取材を終えた後、高知市街に戻り、
遅いお昼を土佐藩主山内家邸跡に建つ
臨水(りんすい)で頂きました。
創業80余年の由緒ある料亭でした。
かつおのたたきと、てんぷらがついた食事膳2,100円は、
東京人の感覚ではリーズナブルといえましょう。
部屋からみえる鏡川ではシジミをとっている人がいました。
食事を終えたところで、美人女将が登場。
「明治・大正の建物はたくさんあれど、
昭和22年の終戦直後に(臨水を)建てた
ところが土佐人の心意気でしょう」
「先日まで、台湾の李登輝さんがいらして
いたのよ。坂本龍馬の船中八策の大ファン
なんですって」
館内も案内していただき、ケヤキの欄干に
「山内一豊公お国入り由来記」が彫り込まれているお部屋も
見せていただきました。
隣接したお部屋には「忠臣蔵」が掘り込まれた欄干もあったのですが、
なぜ高知で「忠臣蔵」?
冗談なのか、本当なのか、その答えを女将から聞いた時は、
さずがに絶句しましたが、それもよい思い出です。
(気になる人は、直接、臨水にいって、女将に聞いてみてください)。
その後、龍馬生まれたまち記念館にいって、龍馬の生涯のおさらいです。
それまで知らなかったのですが、龍馬は比較的裕福な家の生まれだったのですね。
それがあの屈託のない龍馬の人柄につながっていたのかもしれません。
来年は大河ドラマ「龍馬伝」の放映が予定されており、
臨水をあとにする時、女将から「高知をよろしくお願いします」といわれました。
こちらこそ、「歴史街道をお願いします」という感じでしたが。
一領具足の末裔である郷士たちが、
再び幕末の動乱の世に踊り出て行く。
さらにその動きは、明治でも終わりませんでした。
「自由は土佐の山間より」
そこに土佐の歴史のつきぬ面白さがあるのだと、
この取材旅行で感じました。
ブログ・長宗我部編はこれにてひとまず完結といたします。
ご愛読ありがとうございました。
(永)
コメント
ありがとうございました。
本が発送されたことを知りました。
読ませていただきます。
投稿者: ゆう | 2009年11月10日 09:11
ここ以外に意見を述べる場所が見当たらないので場違いながら訂正具申を一つ。
2010年3月号64ページの長篠・設楽原MAPにて、「岡林信康本陣碑」となっていますが、「岡崎信康」の間違いでは?
設楽ヶ原の古戦場資料館でも岡崎と記述されております。
フォークの神様が400年以上も前に合戦していたとは考えにくいですし。
投稿者: フラット | 2010年03月02日 22:10