人名事典

>> 検索トップへ

宮崎 駿

(みやざき・はやお)
 一九四一年東京都生れ。学習院大学政治経済学部卒。東映動画、ズイヨー映像、テレコムなどを経て、八二年フリーに。

 テレビ・アニメの世界では早くから『アルプスの少女ハイジ』(74年)、『未来少年コナン』(78年)、『ルパン三世 カリオストロの城』(79年)といったヒット作を手がけていたが、一躍、宮崎駿の名前を知らしめたのが『風の谷のナウシカ』(84年)である。

 舞台は、最終戦争後千年たった荒廃せる地球。人類は生き残ったものの、いまでも二大強国間で戦争をやめようとしない。そして毒ガスを発生する原生林(腐海)までつくりだしてしまう。これが、制御不可能な粘菌を呼びおこし、巨大化した昆虫とともに、ますます人類を絶望の淵に追いやる。そんななかで、辺境の小国「風の谷」のナウシカは、生き物たちと交流できる稀少な力を駆使して、毒を生み出す腐海のなかにこそ世界再生の希望があることを見出す……。

  『風の谷のナウシカ』は映画上映後も、原作漫画の続編が『アニメージュ』に連載され、連載開始の八二年から十二年たった九四年に完結している。その最後、ナウシカはこう呼びかけ、かつ、つぶやく。「出発しましょう、どんなに苦しくても」「生きねば……」。

 ファンタジーだが、けっして光と影の善悪二元論ではない。『天空の城ラピュタ』(86年)、『となりのトトロ』(88年)、『魔女の宅急便』(89年)、『おもひでぽろぽろ』(91年)、『紅の豚』(92年)、すべてそうだ。

 『おもひでぽろぽろ』をプロデュースした直後、こんなことを語っている。

  「人間は動態だと思っている。同じ人間でも、ある瞬間には高潔になってみたり、じつに愚劣になってみたり、揺れ動くものです」「子供たちに観せなければならないのは、世界の奥深さです。自分の周りが浅薄で情けなくても、それは世界全部ではなく、もっと奥深い不思議なものがある。“生きるのは悪いことじゃないよ”ということしかないんです」。

 『おもひでぽろぽろ』『耳をすませば』(95年)で執拗に細部の描写にこだわったのも、記号化した現代に対する抵抗かもしれない。人間とはどうしようもないもの、という認識に立って、ディズニー的ヒューマニズムを乗り越える娯楽作品を供給しつづける。

  著書に『トトロの住む家』(朝日新聞社、91年)、『宮崎駿の雑想ノート』(大日本絵画、92年)など。

(データ作成:1998年)