人名事典

>> 検索トップへ

本多静六

(ほんだ・せいろく)
1866(慶応2)年、武蔵国南埼玉郡河原井村(現在の埼玉県菖蒲町)生まれ。満9歳のときに父を失い、苦学の末、1884(明治17)年に東京山林学校(のちの東京農科大学、現在の東大農学部)に入学。一度は落第するも猛勉強して首席で卒業。その後、ドイツ・ミュンヘン大学に私費留学し、2年間で国家経済学博士号を取得。帰国後、1892(明治25)年に東京農科大学助教授、1900(明治33)年に同教授に就任。日本初の林学博士となる。日比谷公園などの設計、国立公園の設置に尽力し、「日本公園の父」と称される。そのかたわら、「4分の1天引き貯金」と1日1ページの原稿執筆を実践する独特の生活哲学と山林、土地、株の売買などで巨万の富を築いた蓄財家としても知られる。「人生即努力、努力即幸福」をモットーに、戦中戦後を通じて簡素な生活を続け、370冊余りの著作を遺した。その独特の成功の秘訣は広く影響力を持ち、多くの成功者の“座右の書”となっている。1952(昭和27)年、85歳で逝去。
(データ作成:2006年)