人名事典

>> 検索トップへ

柿澤弘治

(かきざわ・こうじ)
 一九三三年東京都生れ。東京大学経済学部卒。大蔵省入省、官房長官秘書官。参議院議員。八○年に衆議院(東京六区)に鞍替えし、連続当選五回。宮澤内閣では外務政務次官、羽田内閣の外務大臣などを歴任。

 国際派の国会議員として、外務政務次官当時、モザンビークやゴラン高原など、PKO協力法成立直後の日本PKO活動の立ち上げに東奔西走。また、湾岸戦争時に多数の民間人が人質になった苦い経験に鑑み、政府専用機による在外邦人救出に向けての自衛隊法の改正にも尽力した。九五年六月には、国連のガリ事務総長の求めに応じて設立された「国連の将来を考える作業グループ」のメンバーとして、元ドイツ大統領ワイツゼッカー氏らとともに国連改革の報告書をまとめてもいる。

 論文に「国連改造計画」(『Voice』95年9月号)、「周回遅れのランナー」(同92年10月号)など。

(データ作成:1997年)