人名事典

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糸川英夫

(いとかわ・ひでお)
 一九一二年東京都生れ。東京帝国大学工学部卒。中島飛行機(富士重工業の前身)、東大教授を経て、組織工学研究所所長。

 「隼」戦闘機の生みの親。カッパ、ラムダ、ミューといった宇宙観測用ロケットの開発にも従事。五五年、「ペンシルロケット」の打ち上げ実験で、日本の宇宙開発の基礎を築く。脳波測定器の開発や組織工学の研究と、興味は幅広く、趣味はチェロ演奏、クラシック・バレエ、占星術、バイオリン製作、そして六十二歳でバレエ学校入学、六十七歳でデビューするというマルチタレントぶり。最近は人類の滅亡をテーマに人口爆発、環境破壊を論じ、地球レベルで対応するアースクラブを提唱している。氏の活躍ぶりは「日本のダヴィンチ」を思わせる。

 著書『糸川英夫の頭を良くする法』(ロングセラーズ、87年)、『新逆転の発想』(PHP文庫、91年)ほか。

(データ作成:1997年)