人名事典

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細川護煕

(ほそかわ・もりひろ)
 一九三八年東京都生れ。上智大学卒。朝日新聞社に入社。その後、七一年より参議院議員、八三年より熊本県知事。九二年日本新党結成。九三年非自民連立政権の首相となる。

 元日本新党党首。日本新党結成のインパクトは多党化現象を招来し、自民党単独政権に終りを告げさせた。日本新党を解党して新進党に合流するとき、細川氏は「日本新党の役割は時代破壊にあった」と述べたが、これはいろいろな意味で正しかった。旧熊本藩主細川家の十八代目にあたり、祖父は元首相の近衛文麿。現在の政局流動化のなかで多少後退した感は拭えないが、最近の新進党党首選挙システムの提案でもみせたように、鬼面人を驚かすアイデア政治家の本領を発揮して、新党結成の一翼を担う期待も寄せられている。

 著書に『鄙の論理』(共著、光文社、91年)、『日本新党 責任ある変革』(東洋経済新報社、93年)がある。

(データ作成:1997年)