人名事典

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野村胡堂

(のむら・こどう)
明治15年(1882)岩手県紫波郡大巻村(現紫波町)生まれ。東京帝国大学中退。明治45年報知新聞社に入社。大正3年(1914)政治面の記事「かこいもの」に、初めて胡堂のペンネームを用いる。大正13年「あらえびす」のペンネームで報知新聞に音楽漫談コラム「ユモレスク」を連載。昭和6年(1931)に「文藝春秋オール讀物」4月号に“銭形平次”を掲載、以後27年間書き続ける。昭和24年捕物作家クラブを結成し、初代会長に就任。昭和32年眼疾患悪化のため「オール讀物」8月号の銭形平次「鉄砲の音」で創作活動を閉じる。昭和33年菊池寛賞受賞、昭和35年紫綬褒章受章。昭和38年(1963)肺炎により死去。従四位勲三等瑞宝章を贈られる。
(データ作成:2008年)