歴史おもしろデータ [歴史街道]


【総力特集】ミッドウェー海戦から70年 山口多聞

「勝つ」ために何をすべきか

COLUMN1 戦艦伊勢の空前絶後の快挙

「いよいよ戦いの日はきた。漕いで漕いで漕ぎまくってこい。終わり」

第一艦隊短艇(カッター)競技当日の山口多聞の訓示である。昭和13年(1938)、多聞が第一艦隊所属の戦艦伊勢の艦長を務めていたときのことだ。

じつに伊勢のクルーは、この年の1月と6月に行なわれた競技で、いずれも1位から3位を独占するという、連合艦隊空前絶後の快挙を成し遂げたのであった。

これは、多聞の熱血指導と、それに応えた乗組員たちの団結の賜物であった。

多聞は、伊勢の艦長に着任したとき、次のような訓示を行なった。

「着任に際し、希望を二つ述べておく。その一つは人の和である。協力一致して愉快に、しかも元気で、『伊勢』の戦闘力発揮のため頑張ってもらいたい。
 その二は闘志旺盛でなくてはならぬ。戦闘に直面して最も肝要なことは、この旺盛なる闘志である。最後まで頑張る者が初めて栄冠を得ることができる。精神をしっかり持つためには、何といっても健康である。健康なる精神は健全なる身体に宿るのである。この一カ年間、朗らかに愉快に勤務せんことを望む」

簡明な名訓示に、多くの乗組員たちは「この艦長だったら一緒に死んでもよい」と発奮したのだった。

また多聞は、短艇競技の艇員たちには「短艇は艦の分身である。苦しいときは相手も苦しんでいる。苦難を乗り越えてこそ勝利の栄光がある。まず己に勝って、勝利の道を走れ。艦は一丸となって応援する」と語りかけ、自分も毎朝、クルーとともに早起きし、練習に同乗して叱咤激励を繰り返した。そんな艦長が、そういるものではない。メンバーたちは、いやがうえにも燃え上がった。

優勝旗を受け取った多聞と短艇員たちが伊勢に凱旋すると、伊勢1400人の乗員は、興奮と熱狂の歓呼で迎え入れ、多聞は甲板でいくども胴上げされたという。