TALK 〜column&interview 〜

コラム

英雄たちの決断脳 第10回

歴史に残る英雄たちが私たちを魅力するのは彼らの行動力やと決断力にあります。脳科学者 茂木健一郎先生が独自の視点でそのメカニズムに迫ります!

第10回 ネット時代を生き抜く三大能力:教養・英語力・判断力


本質的なことに時間をかける

 時代の流れとともに「知性」の意味は確実に変化しました。
 昔は博識であることがその人の知性を表していましたが、今は必ずしもそうとは限りません。世の中の物事を知っていることは、必要なことではありますが、絶対必要条件ではなくなりつつあるのです。
 今や「情報」はすべてインターネット上に乗っており、探せば誰もがたどり着けるものになったからです。問題は「どこを探せば、自分が求めている情報にたどり着けるか」を知っているかどうかです。
 インターネットという広大な海を前にして、浜辺のサーフィンだけで終わらずに、情報の波間に漕ぎ出すためには必要な航海術があります。かつての地図やコンパスなどに代わるそれは、「教養」「英語」「判断力」の三つです。
 「教養」というと非常に漠然とした言葉のように感じるかもしれません。もっと別の表現をすれば、「教養」とは情報源が不明なウィキペデイアを全面的に信頼しきるのではなく、そこからきちんと第一次の文献までたどり着く必要性を感じられるかどうかの感覚です。自分にとって何が本当に必要な情報で、何が不必要なのか。何が信頼できる情報で、何が疑うべき情報なのか、その判断基準ともいうべきアンテナこそが「教養」と呼べるものです。
 そしてこの「教養」だけは、時間を短縮して身につけることはできません。他のあらゆることが時間短縮できる便利な世の中になっても、「教養」だけは超特急コースの一日で身につけることはできないのです。
 たとえばドストエフスキーの作品を検索することは十秒でできるでしょう。しかしその作品を十秒で読むことはできません。これだけはズルができないのです。
 世の中には「本質的なこと」と「本質的ではないこと」があります。たとえばケーキを作るとき、その作り方を調べるのは本質的なことではありません。けれども「材料を混ぜて一時間寝かせる」工程があるならば、この「一時間寝かせる」という時間はどうしても短縮することができない本質的なことです。あるいはデートで二時間かけて食事するというのは本質的な時間であり、これを二分に短縮することはできませんよね。これがいうならば、知識や教養を熟成させる時間なのです。
 インターネットの登場は、まさにこの「本質的ではないこと」の時間が短縮できるようになったという意味で画期的です。「本質的ではないこと」にかける時間が節約できた分、より「本質的なこと」に時間をかけられるようになったのですから。
 以前アメリカに旅行に行ったときのことです。タクシーのドライバーが車を走らせながら「このあたりに家を買いたいんだ」と、彼の持っている携帯電話であるソフトを使い、家探しをしていました。このソフトは自分の今いるエリアの地図内に、現在売りに出され ている家がある場合、そこに旗が立って表記されるというユニークなものです。しかもその旗をクリックすると、詳細と値段が表示される。
 つまり従来、家探しなどというものは膨大な時間と手間がかかっていたはずなのに、それが素晴らしく節約されているのです。

直接性の原理で磨く英語力

 では「本質的なこと」とは、具体的には何を指すのでしょう。情報に直接触れる時間のことです。
 インターネットの登場により、かつてなら不可能だった多くのことが可能になりましたが、一番の恩恵は、海や大陸の隔たりを超えて、国外の第一次の文献や情報にダイレクトに接することができるようになったことです。
 たとえばアップルの出す製品に夢中になるのであれば、日本人同士が日本のサイトの中であれこれ言うのではなく、直接ジョブズにメールを出す。あるいは彼のツィツターに書きこむのでもいいでしょう。もしくは海外のアーティストや俳優、歌手が好きならば、直接その国のフアンたちとコミュニケーションをとる。
 以前ならテレビや雑誌を通してしか海外の情報を得る方法はなかったのが、今はそのような仲介者を経ることなく、直接情報にアクセスすることができるのです。これを僕は「直接性の原理」と呼んでいます。
 ところがこの「直接性の原理」を実践するためには、どうしても必要なものがひとつあります。それは語学力です。言うまでもなく、ジョブズや海外の同好の仲間と直接語り合うためにはその国の言語力を身につけている必要があります。つまり英語です。
 日本は幸か不幸か、明治以来翻訳大国としてこれまで歩んできました。質の良い翻訳が多かった証拠かもしれませんが、僕たちは必要な情報はすべて、翻訳というフィルターを通してこれまで学んできたのです。
 「それでなぜいけないの?」という声が上がるかもしれません。しかし問題は、それでは情報が届くまでに時間がかかりすぎるという点です。そもそも翻訳行為自体がある程度の時間を必要とするものです。
 僕たち科学者の世界でいえば、ある面白い研究をまとめた本が出たとして、その日本語版が出るのを待っていたら、それを僕たちが読むころには「とっくにその議論は終わっているよ」ということになってしまいます。
 つまり、日本語でしか世界を見られない人と、英語で直接情報にアクセスできる人とでは、もはや情報入手のタイムラグが大きくなりすぎてしまっているのです。日本以外の国の人々が「直接性の原理」で、あっという間に必要な情報にたどり着いているのに、我々日本人だけがその情報が翻訳されるのをただボーッと待っているだけだとしたら。これは「本質的ではないこと」に無駄な時間をかけていることにはかなりません。
 「英語を勉強する時間がない」という人もいるかもしれません。けれども翻訳文化をこのまま持続するよりは、自ら英語を身につけて「直接性の原理」を実践したほうが、結果的としては、はるかに時間を短縮させることができるのです。


ネット時代を生き抜く三大能力:教養・英語力・判断力

続きは本誌にてお楽しみください。

前回の記事を見る