ニッポン新潮流

野球は2時間半で充分

(にのみやせいじゅん)/スポーツジャーナリスト

二宮清純


退屈なゲームを終わらせる
 プロ野球を観なくなった人が、その理由としてしばしば口にするのが試合時間の長さである。昨季の平均試合時間はセ・リーグが3時間19分、パ・リーグが3時間18分。手に汗握る好試合ならいいが、凡戦のなか、かくも長い時間、球場の硬いイスに座らされる観客はたまったものではない。
 さすがにNPB(日本プロ野球組織)も反省したのか、それとも人気低迷に危機感を覚えたのか、今季は開幕前に「試合時間マイナス6%」を目標に掲げた。「野球の力で温暖化ストップ!」との副題もついている。
 NPBが作成した「SpeedUp 11カ条」はこうだ。
 ①スピードアップは、プロ野球の価値を大きく高める
 ②1球で1秒の短縮は、1試合約5分のスピードアップ
 ③攻守交代は、全力疾走
 ④投手は、速やかにマウンドへ
 ⑤投手は(無走者時)、捕手からの返球を受けて15秒以内に投球
 ⑥打者は、予備のバットを必ずベンチ内に用意
 ⑦打者紹介のアナウンスは、バッターボックスへの移動(完了を意味する)
 ⑧バッターボックスは、絶対に外さない
 ⑨むやみにタイムは、要求しない
 ⑩審判員の指示には、素直に従う
 ⑪遅延行為は、ファンに対する侮辱行為
 この結果、試合時間は(5月15日現在)、セ・パともに3時間7分と、前年に比べるとパで11分、セで12分短縮された。
 素直に評価したいと思う。だが、それでもまだセ・パともに3時間以上かかっている。何とか高校野球並みの2時間半くらいにすることはできないものか。
 秘策がある。それはストライクゾーンを広くすることだ。広くするといっても、上下左右、すべてを拡大しろといっているわけではない。外角と低めをボール半個分広げるだけでも、そうとうな試合時間短縮効果が得られると思う。
 それを実践しているのがメジャーリーグだ。外角と低めに甘いメジャーリーグの平均試合時間は2時間51分(2007年)。大差がついた場合、主審はボールくさい球でもストライクとコールする。退屈なゲームを早く終わらせるためだ。

審判は「演出家」
 日本のプロ野球も2度ほどストライクゾーンを拡大したことがある。1986年と2002年だ。これにより試合時間は86年が3時間5分が2時間56分(セ・リーグ)に、3時間3分が2時間54分(パ・リーグ)に、02年は3時間17分が3時間14分(セ・リーグ)に、3時間23分が3時間12分(パ・リーグ)にそれぞれ短縮された。やればできるのである。
「ストライクゾーンの外角と低めを甘くすると打者が不利になり、野球がつまらなくなるのではないか」
 よく、そんな声を耳にする。メジャーリーグを観るかぎり、その心配は当たらない。外角と低めにストライクゾーンが拡大されれば、打者は追い込まれると不利になる。難しいボールを振らなければならなくなるからだ。
 逆にそれは打者に積極性を生む。「追い込まれる前に打とう」との意識が働き、好球必打を心掛けるようになるのだ。結果として試合時間も短縮されるという寸法だ。
 日本の審判はことストライク、ボールのジャッジに関してはアメリカの審判よりも正確だと私は思っている。しかし、皮肉なことにそれがベースボールというスポーツの興趣をそぐ要因にもなっている。
 たとえば、二死満塁の場面でピッチャーが渾身のストレートを外角低めに投じたとする。キャッチャーが構えたミットがバーンと心地よい音を上げる。解説者の常套句である「ストライク、ボール、どちらにもとれるボール」だ。
 私見を述べれば「どちらにでもとれるボール」は腹をくくってストライクにするべきだと思う。打たなかった消極的なバッターが悪い――。審判にはこれくらいの割り切りがあっていい。
 渾身のストレートがボールと判断されれば、押し出し四球となり、このあと試合は乱打戦へ――。もう数えきれないほど、そういう展開の試合を観てきた。
 日本の審判は、総じて自らの役割を「裁判官」だと考えている。もちろん、その要素もなくはないが、同時にプロスポーツはショー、興行であることも忘れてはならない。つまり審判には「演出家」としての役割も求められているのだ。スタンドの「空気が読める」審判こそが名審判である。