ニッポン新潮流

勝負に徹しなかった反町監督

(にのみやせいじゅん)/スポーツジャーナリスト

二宮清純


 五輪サッカーには独自のルールがある。オーバーエイジ(OA)枠だ。
 五輪代表チームはU‐23、すなわち23歳以下で編成される。フル代表だとFIFAが主催するワールドカップの価値が落ちるからだ。
 OA枠は、1996年のアトランタ五輪から導入された。24歳以上の選手が3人まで登録できる。じつはこの大会で日本代表(U‐23)はOA枠を3人使ったブラジル代表(U‐23)を撃破した。世にいう“マイアミの奇跡”である。
 このときのブラジル代表は本気で優勝を狙っていた。それまでワールドカップで最多の4度の優勝を誇ったブラジルだが、五輪を制したことは一度もない。王国の名誉を懸けてタイトルを獲りにきたのだ。
 それが証拠に監督のマリオ・ザガロはOA枠をフル活用し、それぞれの選手にFW、中盤、DFにおける中心的役割を担わせていた。FWの軸は九四年アメリカW杯優勝の立役者ベベト。このとき、32歳とはいえ、ゴール前では熟達のスキルを誇っていた。
 中盤の下がり目にはリバウドを配した。長身でフィジカル能力にすぐれ、かつ守備の意識も高いことから、ザガロから全幅の信頼を得ていた。遠めから放つ矢のようなシュートは無類の正確性を誇っていた。
 最終ラインはアウダイールがまとめた。当時、アウダイールはセリエAのローマに所属し、ユニホームの色に引っ掛け「赤い壁」と呼ばれていた。
 タレント揃いのブラジルにとって、日本はスパーリングパートナー以外の何物でもなかった。
 試合前、日本代表について聞かれたザガロはぶっきらぼうにこう言い放った。
「乱暴なサッカーをしないチームであってほしい」
 要するにザガロは「日本ごときは相手じゃない。そんなチームに、ケガでもさせられたらかなわない」といいたかったのである。

中途半端がいちばん良くない

 ところが、である。ありえないことが起きてしまったのだ。
 後半27分、ウイングバックの路木龍次が左サイドでボールをキープし、相手DFの背後にロングクロスを送り込む。ワントップの城彰二が、そのボールを執拗に追いかける。
 と、そのときである。城よりも一瞬早くボールに追いついたアウダイールはヘディングによるバックパスをしようとして、飛び出してきたGKジーダと衝突してしまったのだ。
 ボールは坂道を転がるように芝の上を滑り、そのままブラジルゴールへ。オウンゴールかと思われた瞬間、ペナルティーエリア内に詰めていたボランチの伊東輝悦はスルスルッとボールに迫り、右足インサイドで慎重に蹴り込んだ。
 この虎の子の1点を日本は守りきった。特筆すべきはGK川口能活の守りだ。ブラジルのアタッカーたちから、なんと28本ものシュートを浴びながら、ついに一度もゴールを割らせなかった。
 あるときは身を挺してゴールの前に立ちふさがり、あるときは果敢な飛び出しでシュートを未然に防ぎ、またあるときは抜群の読みでDF陣を操り、シュートコースを消してみせたのである。
 ところで、アトランタ五輪の日本代表にはOAが1人もいなかった。
「若い選手に経験を積ませ、日本代表Aチームに入るよう育て上げる」
 それが西野朗監督と協会の方針だった。
 さて今回の五輪はどうか。最初、反町康治監督は神戸のFW大久保嘉人を招集しようとした。ところがクラブ側との調整がつかず、断念せざるをえなかった。
 もう1人、中盤の要としてガンバ大阪の遠藤保仁にも声を掛けたが、彼は体調不良を理由に辞退した。
 アトランタのときのように最初からOA枠を使わずに世界を相手にしようというのなら、それは1つの見識である。結果を出せば、若い選手には大きな自信となるだろう。
 ところが24歳以上の“助っ人”に次から次へと断られ、なし崩し的にOA枠なしで戦うというのではU‐23の選手たちのモチベーションも違うのではないか。
 じつは五輪はFIFAの公式行事ではない。それゆえ、OA枠をめぐっては、世界のどの国でも多かれ少なかれ協会とクラブのあいだに対立が見られる。それは日本に限った話ではない。
 しかし、もう少し協会とクラブとのあいだで五輪に関するコンセンサスが必要ではなかったか。五輪をU‐23の選手たちの武者修行の場にするのなら、それも良し。OA枠を使ってでも勝ちに行くのなら、それも良し。中途半端がいちばん良くない。