人名事典

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マハティール・ビン・モハマド

(Mahathir bin Mohamad)
マレーシア前首相;統一マレー国民組織(UMNO)前総裁。

1925年、マレーシア、ケダ州アロースター生まれ。マラヤ大学(現・シンガポール大学)医学部卒。医学博士。大学卒後医務官となるが、政治活動をするため開業医に。64年、下院議員に当選。69年、ラーマン首相と対立し統一マレー国民組織(UMNO)を追放されるが、72年、復党。74年、教育相、76年、副首相兼任、78年、UMNO副総裁を経て、81年より同総裁、同年7月、マレーシア第4代首相に就任、マレーシア初の平民宰相となる。86年より内相、87年より法相兼務。日本や韓国に見習って経済開発を進めようとする“ルック・イーストポリシー(東方政策)”を提唱。88年2月、新マレー国民組織結成(のち旧名に戻る)。89年、心臓発作に倒れるが2ケ月半後政務に復帰。90年10月の総選挙では自らが率いる与党連合NFが三たび圧勝。東アジア経済圏(EAEC)構想を提唱、“アジアの意志”の代弁者と呼ばれる。95年4月の総選挙でも国民戦線(UMNOを中核とする連合政権)が圧勝。99年11月、総選挙で国民戦線が勝利。2003年10月、マレーシア首相退任。

著書に『アジアから日本への伝言』などがある。

(データ作成:2004年)