人名事典

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下河辺淳

(しもこうべ・あつし)
 一九二三年東京都生れ。東京帝国大学工学部卒。建設省、国土庁を経て、国土審議会会長を経て、東京海上研究所理事長。

 国土総合開発のプロ。田中内閣時代の列島改造、多極分散型国土づくりのシナリオライター。役人らしからぬ発想力と行動力に対する政治家の評価は高く、阪神、沖縄の二つの振興策でもアイデアマンとして活躍した。

 とくに阪神大震災では復興委員長の要職に。『Voice』(96年1月号)「復興悲観論を超えて」では「被災地神戸は陳腐な常識を超えてきっと立ち直る」と訴えた。下河辺の復興案は「アジアの雑踏をイメージした街」。欧米を含め世界がアジア市場をにらんでいる流れに乗っかり、企業誘致、港湾づくりにメリハリをつけたい、というもの。さすがに時代感覚は鋭い。かつての「東京を快適にするためには休都にすべし」との提案も懐かしい。

 著書に『戦後国土計画への証言』(日本経済評論社、94年)ほか。

(データ作成:1997年)