人名事典

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埴谷雄高

(はにや・ゆたか)
 一九一○年台湾生れ。日本大学予科中退。

 四五年、平野謙氏、荒正人氏らと創刊した『近代文学』で安部公房氏らを発掘。自らも「妄念実験」小説『死霊』を連載して戦後文学をリードした。また、マルクス主義思想の立場からスターリニズム批判を展開。六○年安保世代に多大なる思想的影響を与えた。四六年から執筆を開始した『死霊』は、若いころ病んだ結核に加え、虚血症、ガンとたてつづく病魔の前に停滞を余儀なくされたが、九五年、これまでの思想の大団円ともいえる第九章がようやく『群像』に発表された。

 九四年末に綴られた「行きつくところは全滅亡」という短文は、埴谷氏が『死霊』で求めたものを簡潔に表現している。「生と存在は『無限』のなかで出現したのだから、『白紙』という無限のなかに、未出現の宇宙をいますでにつくりだしてておいてもよいというのが、現宇宙の存在形式に、また、そのなかの生の思惟形式に不満やるかたない私の妄念姿勢であった」。宇宙を超越する「自在宇宙」を頭蓋のなかに出現させようという「存在顛覆の不可能小説」は、いまだ終りを知らない。

 著書に『死霊 第9章』(講談社、95年)、『謎とき「大審問官」』(ベネッセコーポレーション、

(データ作成:1997年)