人名事典

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梅棹忠夫

(うめさお・ただお)
 一九二○年京都府生れ。京都帝国大学理学部卒。同大助教授、教授を経て、国立民族学博物館長に就任、現在に至る。

 動物学を専攻、メダカの行動生態などを研究していたが、故今西錦司氏の影響で文化人類学に転向。五七年に「文明の生態史観序説」を発表、西欧と日本の文明は、ほとんど同歩調で発展したとする平行進化説を打ち出し、反響を呼ぶ。これは地球生態系区分のあり方に対応した、文明のいくつかの多系的発展パターンを提示し、マルクス史観である西洋モデルの単系的発展段階理論に対抗したもの。最近は「三内丸山(遺跡)に黄河文明と並ぶ縄文文化があった」(『週刊朝日』96年5月24日号)として世間を驚かせた。冒険と実証と面白さを求めた論壇人の代表。

 著書に『知的生産の技術』(岩波新書、69年)ほか。

(データ作成:1998年)