人名事典

>> 検索トップへ

梶山静六

(かじやま・せいろく)
 一九二六年茨城県生れ。陸軍航空士官学校卒、満州にて終戦。復員後日本大学工学部卒。五五年より連続四期、茨城県議会議員。全国最年少の四十歳で県議会議長を務める。六九年衆議院議員に当選(茨城二区、自民党、以後当選八回)。自治相・国家公安委員長、通産相、法相などを歴任、自民党幹事長を経て、九六年一月橋本龍太郎内閣の成立と同時に内閣官房長官を勤める。

 故金丸信氏は「平時の羽田、乱世の小沢、大乱世の梶山」と評した。旧竹下派内の「武闘派」として知られ、田中派からの分離・独立劇では中心的な役割を演じた。国会対策畑が長く、社民党に厚い人脈をもつ。最近では宮澤内閣、村山内閣の末期に首相に引導を渡す役回りを務め、「さすらいのガンマン」を自称した。『文藝春秋』(95年7月号)に「二十一世紀に向けた日本の座標軸」を発表、「道義国家」「絶対的平和主義」「技術立国」を提唱して話題を呼ぶ。まさに「大乱世」の政界にあって、活躍に期待したい。

(データ作成:1997年)