人名事典

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会田雄次

(あいだ・ゆうじ)
1916年京都府生まれ。京都帝国大学史学科卒業。神戸大学助教授、京都大学人文科学研究所教授を経て、京都大学名誉教授。日本の知識人および大衆に染みついた西欧崇拝を衝き、戦後の平和主義を欺瞞として批判する。日本人のアイデンティティ回復のためには、まず敗戦から見つめ直すことが必要であると論じる。43年に応召。最下級の兵士としてビルマ戦線に送られ、戦後2年間、英軍捕虜としてヤンゴンに拘留される。このときの体験をもとに『アーロン収容所』(中央公論社)を発表。つづいて発表した『ヨーロッパ・ヒューマニズムの限界』『日本人の意識構造』(講談社)などで、論壇における地位を確立した。『アーロン収容所』においては、捕虜として目にした事物の記述をはるかに超えて、透徹した西欧と日本、日本とアジアの文化比較を展開。また『日本人の意識構造』では、通俗化していたルース・ベネディクトの日本文化論(罪の文化と恥の文化という二分法)を批判。専攻のイタリア・ルネサンス研究からくるリアリズムとあいまって、硬派の批評家として注目された。その後、日本のルネサンスともいうべき戦国時代を中心に日本人を論じる「史論」の領域にもあたらしい視点を導入。歴史上の人物を語りながら現代人の生き方を模索する、人間学としての歴史論を確立して歴史ブームの一翼をになった。戦後50年をきっかけにした細川政権以降の謝罪外交に疑問を提示。また安易な戦後終焉論を敗戦という事実の隠蔽にすぎないとしてはげしく批判した。一方で、いま日本人が回帰すべき時代として活力ある戦国時代をあげ、いよいよ限界をみせつつある西洋合理主義を克服する道を、多元的価値観を含む照葉林文化のなかに見出そうとしている。一貫して、該博な歴史学的素養からくるしなやかな発想のなかに、日本の戦後状況に対する批判という筋金のはいった言論を展開してきたといえる。発言の一つひとつに強靭さが感じられるゆえんである。近年は日本の現状にますます批判的となり、その文章はペシミズムの色彩を強めている。

著書に『アーロン収容所』(中公文庫)、『日本人の生き方』(講談社学術文庫)、『日本の命運』(PHP研究所)ほかがある。1997年逝去。

(データ作成:1997年)