人名事典

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入江隆則

(いりえ・たかのり)
 一九三五年神奈川県生れ。京都大学文学部卒、東京都立大学大学院修了。岩波映画社員を経て、明治大学教授。

 英米文学、比較文化論を専攻。戦後処理の問題をナポレオン、ヒトラー、昭和天皇と世界史的文脈で論じた話題作『敗者の戦後』(中央公論社、89年)を引っ提げ、戦後論争の論客となる。その基本コンセプトは日本の戦後の歩みに対する徹底した不信、疑念だ。『文藝春秋』(90年8月号)「日本国家最後の勝ち方」では、「人類史上例のない勝利なき勝利は可能か」との問いかけで日米経済摩擦を論じている。すなわち勝ち方には二種類ある。伊藤博文のような節度ある勝ち方か、ヨーロッパのアメリカインディアン掃討のような徹底的勝ち方か。そこで、氏は歴史をひもとき、日本の伝統的勝ち方は伊藤的な「抑制と調和」に基づいた勝ち方だという。戦後、軍事なき経済戦争で日本は勝ちすぎている、しかもその意識がない。

 『発言者』(95年8月号)「偽善の五十年は終わった」ではオウム事件を斬った。人間にもともと備わっている属性を拒否するのは偽善的である。その意味で、暴力を無視した戦後五十年は偽善の時代だった。その欺瞞も暴力を肯定した宗教団体が起した事件でようやく終末を迎えようとしていると分析、「暴力に一定の価値があることを認めた上で上手に対処するのが大人の常識だ」と強調した。

 『新潮45』(96年4月号)「いじめ自殺が終わらないうちは戦後は終わらない」も波紋を呼んだ。いじめはいじめる側、いじめられる側、傍観者の三者で成り立つ。かつてはいじめられる側、傍観者の牽制、抗議があったが、いまはない。これは、人間にはいじめなどケチな不正を行う性質があり、それに対しては抵抗するという一般的了解が広く存在する社会と、いじめなど本来はしないという社会の差からくる。戦後社会はまさに後者であり、いじめ傍観の憲法だという。「いじめというけちで残酷な不正が楽しいという人間の本性を直視すべきだ」と論じる。

 また、「太平洋世界の復活」(『Voice』連載)では、太平洋世界の過去五百年の歴史を、西欧との接触以前と以後にわけて鳥瞰し、地中海文明から太平洋文明への移行を説いた。「近代世界システム」と日本が出合うことによって生じる未知の領域は、日本が世界史の表舞台に立ち、その鍵を握っているということでもあろう。

 著書に『日本が創る新文明』(講談社、92年)ほかがある。

(データ作成:1997年)