人名事典

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堺屋太一

(さかいや・たいち)
1935年、大阪府生まれ。東京大学経済学部卒。60年、旧通商産業省(現経済産業省)入省。62年、『通商白書』にて「水平分業論」を展開。65年、日本で初となる万国博覧会開催を提唱し、自ら企画担当官になり成功させる。続いて沖縄海洋博を提唱。71~72年、佐藤栄作首相の下、沖縄観光開発を成功させる。75年、通産省在職中“予測小説”という新手法を用いた『油断!』で作家デビューを果たし、翌年、近未来経済小説『団塊の世代』を発表。戦後の第1次ベビーブーマーを「団塊の世代」と名づける。78年、通産省を退官し、執筆活動に専念。90年、大阪・花と緑の博覧会(花博)では「名画の庭」をプロデュース。98年7月から小渕内閣で国務大臣経済企画庁官を務め、森内閣でも留任(2000年の12月まで)。00年12月より04年9月まで内閣特別顧問。02年、東京大学先端科学技術研究センター教授、04年、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授などを歴任。10年、上海万国博覧会日本産業館代表兼総合プロデューサーとして大成功を収める。13年8月、内閣官房参与に就任。

『日本を創った12人』(PHP文庫)、『平成三十年(上・下)」(朝日文庫)、『第三の敗戦』(講談社)、『人を呼ぶ法則』(幻冬舎新書)、『「維新」する覚悟』(文春新書)、『団塊の秋』(祥伝社)など著書多数。
(データ作成:2015年)