人名事典

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宮澤喜一

(みやざわ・きいち)
 一九一九年東京都生れ。東京帝国大学法学部卒。大蔵省入省。蔵相秘書官。参議院議員。六七年衆議院広島三区に転じ、連続当選十回。経企庁長官、通産相、外相、官房長官、蔵相、首相を歴任した。

 「軽武装・経済優先」の戦後保守本流路線の代表者。鈴木内閣の官房長官当時「教科書問題」で「侵略を進出と書き換えた」事実がなかったことが判明したにもかかわらず謝罪談話を発表し、顰蹙をかった。また宮澤内閣では九三年、総辞職が決ったなかで日米首脳会談を主催、米国が求める「数値目標」類似のシェア保証を受諾するとともに、「従軍慰安婦問題」について強制連行の事実が確認されないまま、軍の直接的な関与を認める談話を河野洋平官房長官に発表させた。

 最近は「いまの憲法下で日本がしてはいけないことは唯一、海外での武力行使。それに抵触しないことはいいと思う」(『読売新聞』96年4月19日)として、米軍への後方支援を積極的に認める発言を続けている。

 著書『戦後政治の証言』(読売新聞社、91年)、『美しい日本への挑戦』(共著、文藝春秋、91年)。

(データ作成:1997年)