人名事典

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椎名素夫

(しいな・もとお)
 一九三○年東京都生れ。名古屋大学理学部卒。電源開発会社に勤務後、衆議院(岩手二区)四回当選。自民党政調副会長など歴任したのち、現職(無所属)。故椎名悦三郎・自民党副総裁の次男。

 国会議員のなかで、安保・防衛問題の屈指の論客。「日英二○○○年委員会」の座長を務めるなど、バランス感覚に長けた国際派として知られる。

 「日中関係と米中関係の落差で、日米関係がおかしくならないように神経を使わねばならない。そこにイギリスのような存在が加わってくると、日本も楽になる。伝統に培われた政治・外交の知恵が流入してくる」と英国との協調を訴えた。(『Voice』92年5月号)

 日米安保問題については、「銘記すべきは日米同盟がこれまで成功物語であったこと。実地テストを受けていないスプリンクラーと同様、テストしていないので火災のとき、本当に水が出るかどうかわからない。スプリンクラーが詰まる原因は日本にあり、必要なとき、水が出るように努力しなければならない」(『産経新聞』95年10月17日)と軽妙な譬えで自らの立場を披瀝し、日本が同盟国としての責任を果すことを求めた。

 最近は、特定の地域を選んで実験的にあらゆる規制を撤廃しようという「フリーポートX」構想の提唱者としても注目されている。『Voice』(96年5月号)の巻頭インタビューにおいて、「世界のルールから離れている日本の仕組みが、対外障壁の問題だけでなく、日本人自体にとってたいへんな制約になってしまっている」と指摘、「ある区域をかぎって、そこではできるだけ規制をなくす。さまざまなことを全部含めて実験してみようではないか」と提案した。

 「文部省の規制から離れて、日本では大学とは認められなくとも、世界に通用するようなものをつくってもいいし、世界一の医療機関をつくってもいい」、「日常的に『フリーポートX』に行き来するなかで、なるほどこういうことは可能なのだと実感してもらうと、じつに広い天地が開けるはずだ」と述べたが、これは閉塞感が色濃い最近の日本社会にとって久しぶりに聞く「夢のある話」であろう。

 さらに米軍沖縄基地問題に関連して、「一つのモデルとして『フリーポート制度』を沖縄に導入する。香港の役割を沖縄に引き取る気持ちで実行すれば効果はある」と提案(『日本経済新聞』96年7月30日)、この問題に新局面を開いている。

(データ作成:1998年)