人名事典

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牛尾治朗

(うしお・じろう)
 一九三一年兵庫県生れ。東京大学法学部卒。東京銀行を経てウシオ電機を設立。経済同友会代表幹事も務める。

 財界きっての論客。日本青年会議所会頭時代、大平元総理の知遇を得、鈴木内閣の第二臨調専門委員になるなど若くして政界との関係を築いた。リクルート株の譲渡問題で一時、財界活動を謹慎していたが、速水優前経済同友会代表幹事の補佐役として復活した。出身会社が日本を代表する大企業ではないものの、氏の見識と幅広い人脈が評価されて、財界四団体の一つの長に推された。

 若いころからの財界活動で得た人脈は、普通のサラリーマンから経営者になって財界活動に勤しむ者が築くには難しいほど広くて深いものがある。政界や財界の先輩たちはもちろん、劇団四季の浅利慶太代表や香山健一学習院大学教授らとは、胸襟を開いて語り合える仲であるし、その一方で、若手の官僚やジャーナリストとともに勉強を重ねるなど、地道な面ももち合せている。

 九五年に経済同友会代表幹事に就いて早速新しい方針を打ち出した。その柱は、一国繁栄主義を超えて、グローバル・ガバナンス(世界システムの運営)に積極的に参加すること、その手段として世界に共通した市場経済を受け入れ、日本の市場を再設計することの二点である。競争こそが創造を生み、競争を通じて効率が追求され、コスト削減によって市民社会に貢献するという市場主義者、自由経済主義者の宣言といえる。

 日本企業についての個人的見解は、「終身雇用や年功序列制度が曲がり角にきているのはたしかだが、人間を大事にする日本型マネジメントは、アジアを中心に評価されている」、「雇用問題は、輸出生産型からサービス情報型に完全に移行するあいだ、多少のミスマッチはあるが、二○○○年までに全体でマッチする」、「競争を勝ち抜く鍵は、リストラの徹底と生産性の高い製品開発だ。日本の企業は、勤勉だからこのままいったら勝つ」などと日本経済のダイナミズムに基本的には信をおいているが、政治に対しては「日本のコストが高いのは、賃金が高いからで、それは物価に帰着する。衣食住を下げる方策を考えるべきだ」、「経済の大改革が必要なとき、連立政権はなじまない」と、なかなか手厳しい。

 財界の優等生であることは間違いないが、財界の発言力が相対的に低下しているなかで、いっそうの迫力が求められる。

(データ作成:1998年)