昭和29年の夏、松下幸之助は、福岡県久留米市にある販売代理店の社長が病気で寝たきりになったと聞き、見舞いに訪れることにします。当時は容易に大阪から久留米に行くことができず、福岡で一泊し、翌朝、車で久留米に向かいました。ところが、幹線道路にもかかわらず整備が不十分で、先方に着く直前にタイヤがパンクする始末。暑いなか、残りの道のりを歩かざるをえなかったものの、無事、社長に面会することができました。

幸之助は、「歩きなれない道ですっかり疲れたが、社長さんをお訪ねすると病床で涙を流して喜んでくださったので、それまでの疲れもいっぺんにとれる思いがした」と、そのときのことを振り返っています。


見舞いと葬儀は最優先

幸之助がわざわざ泊まりがけで見舞いに行ったのは、松下電器を創業してまもない頃からずっと、この社長が九州地方一帯の販売網の拡大に尽力してくれたことへの感謝の気持ちからです。このように得意先の社長とはたんに商売上の取引先としてではなく、ひとりの人間として接するのが幸之助でした。

昭和20年代前半、東京にある、さらに古くからの得意先の社長が亡くなり、幸之助は大阪からすぐにかけつけました。そして遺体の前で正座し、そこにあたかも生きている人がいるかのごとく、10分ほど、遺体に向かって感謝のことばを話しかけたといいます。残された夫人と息子には「困ったことがあれば力添えする」と励ます一方、その後も経営状況を気にかけ、「できるだけ応援するように」と社内に指示を出していたとのことです。

松下電器3代目社長・山下俊彦氏によると、幸之助は、社員のみならず、得意先の社長が病気になれば必ず見舞いに行き、亡くなれば通夜や葬儀に参列、心から哀悼の意を表しました。いつもスケジュールがびっしり詰まっている幸之助にそれができたのは、「長年ともに苦労してきた人のことを最優先に考えておられたからだろう。自分にはとてもマネのできないことだ」と、山下氏は述べています。


恩を知ることは無形の富である

終戦直後のこと。静岡県のある会社員が、東京や大阪の闇市で地元の魚や果物を販売する副業をして、大きなもうけを得ていました。ある日、列車内の検札で車掌に頭を下げている男性をみかけます。なんでも切符と取引先に納めるお金を盗られたとのこと。会社員は闇市でのもうけを、自分には過分のお金だと思い、困り果てているこの男性に渡しました。男性の名は松下幸之助。会社員には翌月、丁重な礼状とともに返済のお金が送られてきました。それだけではありません。以降、会社員は妻とともに毎年のように幸之助の歓待を受けました。勤務先を退職後も、幸之助から仕事を紹介され、とても驚いたといいます。

幸之助は「恩を知ることは無形の富である」として、一度受けた恩義を生涯、忘れませんでした。

(月刊「PHP」2017年1月号掲載)


松下幸之助とPHP研究所

PHP研究所は、パナソニック株式会社の創業者である松下幸之助が昭和21年に創設いたしました。 PHPとは、『Peace and Happiness through Prosperity』の頭文字で、「物心両面の調和ある豊かさによって平和と幸福をもたらそう」という意味です。

■月刊誌「PHP」

お互いが身も心も豊かになって、平和で幸福な生活を送るため、それぞれの知恵や体験を寄せ合う“場”として昭和22年から発刊を続け、おかげさまで多くのご支持をいただきながら今年で71年目を迎えました。

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