第六十回PHP賞受賞作

岩越正剛
長野県須坂市・工員・三十八歳

「人を殺そうとするくらいなら、あなたが死ねばよかったのに」
もう十年以上前のことだ。
私が逮捕された、あの朝。
私の頬を打ち、泣き叫んだ元妻の言葉が、今でも耳にこびりついている。
元妻の声を聞きながら、その通りだと思っていた。
私が死ねばよかったのだ。
私は人を殺そうとした。それも、まったく自分勝手な理由からだった。
不倫のすえ、妊娠させてしまった相手の女性を、お腹の子どももろとも、手にかけようとしたのだ。
幸いにも、女性は軽い怪我ですんだ。
しかし、私が彼女を殺めようとしたことは間違いない。
たとえ結果がどうであれ、私のやったことは殺人犯のそれと、まったく変わらなかった。私は人殺しと同じなのだ。
そして、私はすべてを失った。
あの頃の私が、人を殺してでも失いたくないと思っていたもの、すべてだ。
私を心から愛してくれていた妻。
まだ産まれたばかりだった一人息子。
幼い頃からの夢だった仕事。
かけがえのない親友たち。
そういった、私を形づくってくれたものを一瞬にして失った。私自身が壊した。
被害者の生命を奪おうとしたのだから、私もすべてを失うのは当たり前だった。
けれど、服役直後の私は、もうすぐにでも逃げ出したいと思っていた。
自分の犯した罪から。
すべてを失った絶望から。
償い続ける人生から。
こうなった以上、自分の生命すらいらないと思った。
自分で自分の人生を終わらせよう。
そう、決意していた。

「どうか、生きて」

しかし、私は今も生きている。
生きて罪を償い続けている。
自分の人生を終わらせなかった。それは、元妻の言葉があったからだ。
初公判の朝。
逮捕されたあの日、「あなたが死ねばよかった」と言った元妻は、幼い息子を抱き、アクリル板越しに姿を現した。
そして、痛々しいほどの空元気で、気丈に笑って、こう言ったのだ。
「私とあなたが離婚して、赤の他人に戻ったとしても......。
この子とあなたの血のつながりまで、なかったことにはできません。
だから私は、いつかこの子が大きくなったとき、実の父親であるあなたのことを、この子に話します。
そのとき、この子はきっと激しく怒り、そしてひどく悲しむはずです。
あなたのことを、決して許さないかもしれません。
でも、いつか......。
いつか、実の父親であるあなたに会いたいと考えるかもしれません。
そのときに、あなたが自暴自棄になって、更に罪を重ねていたり......。
あるいは、すべてから、生きることからさえも逃げていたりすれば、成長したこの子はどう思うでしょうか。
そのことを、どうか忘れないで。
この子のためにも、どうか、生きて......。
生きて、罪を償い続けてください。
子どもは親の背中を見て、育つのだから」

息子の眼を見つめられるように

元妻の懸命な笑顔と言葉は、私の心を突き動かした。
涙をこらえるのに必死だった。
精いっぱいの虚勢を張り、笑顔をつくって、こう応えた。
「自殺なんか、するわけない」
元妻の言葉を聞いて、私は変わった。
生きて、本気で罪を償い、更生することを、元妻と息子に誓った。
私は今も生きている。
これからも、生きて、償い続けていく。
もう二度と、元妻の思いをふみにじらない。
もう二度と、死にたいだなんて言わない。
私はもう、逃げ出さない。
生きて、生きて、自分の罪と向き合っていくしかないのだ。
息子と会う日は、もう二度と来ないかもしれない。
それでも、私はあの子のために、一日いちにちを生きると決めた。
もし、いつか、息子との再会が、叶うのであれば、その眼を見つめることができる自分でありたい。