昭和30年ごろのこと。戦前から大阪で、生活の苦しい母親と子供のために保育園や児童館の運営に力を入れてきた主婦がいました。関西の消費者運動のリーダーの1人でもあったことから、対する関西の生産者の代表格である松下幸之助とは顔見知りの間柄です。

あるときこの女性が幸之助に外出先でばったり会い、「仕事は順調か」と声をかけられたので、こう答えました。

「おかげさまで世間なみには。ただ、午前8時から午後6時までの長時間保育をしているせいか、若い保母でも疲れるようです。せめてテレビが1台でもあれば、保母も園児も一緒に座って楽しめるのですが」

翌日、園舎にテレビが届けられます。幸之助からの寄贈品でした。まさかのプレゼントに、恐縮しきりだったといいます。

女性はその後、乳児や障がい児の保育にも取り組み、活動の場を広げていきました。恩返しの気持ちもあり、逆に幸之助に贈り物をするようになったとのことです。


青年社長の願いに応える

現在は洋菓子の製造・販売で知られる京都のある会社はもともと、昭和20年代後半に20代の青年が始めた小さな喫茶店でした。努力のかいがあって、店は大繁盛。昭和30年代半ば、青年社長は150席の大型店を出すことを決意します。

このころ、カラーテレビが発売されました。青年社長は、お店に1台でも置けば、お客が入ると考えます。しかし、出店でお金を使い果たしてしまったうえ、価格が高くてとても手が出ません。

そこで、京都の販売会社の社長に、まだ一般的でなかった分割払いで購入できないかと相談しました。すると販売会社の社長は、大阪の松下電器本社に行って、かけあってくれたのです。

驚いたことに、まもなく店にカラーテレビが配達されました。話を聞いた幸之助が「あげなはれ」と、指示を出したといいます。感激した青年社長はますます商売に精を出し、2号店も繁盛。現在の成功にいたる大きなきっかけとなりました。今も幸之助を「生涯の恩人」と呼んでいるそうです。


小さな寄贈にも激励を込めて

幸之助が貧しいながらも一から事業を起こし、艱難辛苦を乗り越えて成功することができたのは、自身の努力と才覚によるだけではなく、多くの人の協力や援助があったことも大きな要因でした。だからこそ、かつての自分のように、資金の余裕がないなか一生懸命がんばっている人には、こうした寄贈をとおして激励することをいとわなかったのでしょう。

生前、教育や福祉、文化などの事業や活動に対する、億単位も珍しくないほど巨額の寄付・寄贈で注目された幸之助でしたが、実際は、額は小さくとも、心のこもった寄付・寄贈も数多く行なったのでした。

(月刊「PHP」2017年2月号掲載)


松下幸之助とPHP研究所

PHP研究所は、パナソニック株式会社の創業者である松下幸之助が昭和21年に創設いたしました。 PHPとは、『Peace and Happiness through Prosperity』の頭文字で、「物心両面の調和ある豊かさによって平和と幸福をもたらそう」という意味です。

■月刊誌「PHP」

お互いが身も心も豊かになって、平和で幸福な生活を送るため、それぞれの"知恵や体験を寄せ合う場"として昭和22年から70余年にわたり発刊を続け、おかげさまで多くのご支持をいただいています。

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