松下幸之助は特別な来客がある際、お茶でもてなすことがよくありました。かつて松下電器の広告に起用されていた大相撲・元横綱の初代若乃花も、そのもてなしを受けたひとりです。

昭和35年の春場所で全勝優勝したとき、幸之助に報告をしようと、京都の真々庵を訪れました。さっそく茶室に通されると、幸之助みずからお茶をたてて歓迎します。

しかし、若乃花はお茶の作法をよく知りません。内心困っていると、幸之助が声をかけました。「まあ、ここはだれもおらんから」。若乃花はすっかり気が楽になり、その後は幸之助と充実した時間を過ごしたといいます。


“意地悪”な菓子

昭和40年代前半のこと。幸之助は、新聞各社の担当記者のたっての希望で、真々庵の茶室に招待したことがあります。和服姿の女性によるお点前のあいだ、記者に和菓子が供されました。

ところが、茶席に慣れていない記者たちは落ち着きがなく、緊張の様子。黒文字を使って菓子を口に運ぼうにも、あせってうまくいきません。菓子が粉々に崩れてどうすることもできず、ついにはお茶漬けのごとくかきこんでしまう記者もいました。

すると幸之助が菓子を手でつまみ、そのまま口に入れたのです。唖然とする記者に向かって、「むずかしう考えるからいかん。素直においしくいただいたらよろしい。しかしこの菓子は、初めての人にはちょっと意地悪やったな」と、ニコニコしながら言いました。その場が一気に和んだそうです。


失敗した外国人には

数年後、アメリカ人の雑誌編集長が幸之助から、大阪での茶会に招かれました。編集長はあらかじめ作法を覚えておこうと、前夜、同行する日本の知人らから旅館で教わることにします。不慣れな和室での特訓に、ひざが痛くてたまりませんでしたが、作法には11のステップがあることを自分なりに解釈して、いざ“本番”に臨みました。

訪問すると、茶室の雰囲気は、のんびりできる旅館の和室とは明らかに違います。動作がぎこちないのが自分でもわかりました。なんとかひと通りやり遂げたと思って茶碗を畳の上に戻したものの、それが数えて9つめのステップ、11ではありません。緊張のあまり、2つの作法をどこかでとばしてしまいました。

横を見ると、知人らが必死で笑いをこらえています。しかし幸之助は、なにごともなかったかのようにふるまい、アメリカの人種差別問題について意見を求めました。関心を共有しようと、編集長が人種対立の緩和に努める企業の取り組みについて取材を重ねていることを、あらかじめ調べていたのです。

幸之助は「宗晃」という茶名をもつ裏千家の老分でしたが、茶席では必ずしも形式張ることなく、相手に合わせたおもてなしを心がけました。

(月刊「PHP」2017年4月号掲載)


松下幸之助とPHP研究所

PHP研究所は、パナソニック株式会社の創業者である松下幸之助が昭和21年に創設いたしました。 PHPとは、『Peace and Happiness through Prosperity』の頭文字で、「物心両面の調和ある豊かさによって平和と幸福をもたらそう」という意味です。

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