昭和38年、あるミシンメーカーの経営者が、松下幸之助から真々庵に招待されました。小学校を中退し、大阪の問屋で丁稚として修業を積んだ苦労人です。似たような境遇の幸之助とは会話が弾みました。

経営者は帰る際、幸之助が先輩経営者であるにもかかわらず、見送りに出て、しかも自分の姿が見えなくなるまで頭を下げていることに気づき、我が目を疑います。それだけではありません。後日、「あなたさまのお会社が一業専心なさっていることは敬服にたえません」と書かれた手紙まで届いて、光栄のあまり全役員に回覧したといいます。

その後も幸之助から何度か手紙を受け取ることがありました。必ず最後は「私どもに至らぬ点がございましたら、どうぞご指導くださいませ」という文面で結ばれており、恐縮しきりだったとのことです。


26年ぶりの礼状

大正14年、ある大手銀行が、当時大阪市内にあった松下電器の近くに支店を設立しました。幸之助はそこの若い行員に何度も勧められ、昭和2年、取引を開始します。ただしその条件として、前例のない2万円の貸付枠を約束させました。

ほどなくして金融恐慌が起こります。取り付け騒ぎで従来の取引銀行が支払い停止となり、松下電器は窮地に陥りました。しかし、そんな事態の最中でも、その大手銀行が貸付の約束を履行し、ピンチを脱することができたのです。幸之助はその恩義から、のちに本社を市外に移転しても、取引支店を変えませんでした。

ところが、昭和28年、同行の要請で本店に取引先を移すことに。幸之助は、勧誘した当時の若い行員にそれまでの感謝の手紙を送りました。受け取った行員は他支店に異動していましたが、「(松下電器が発展したのは)別けても尊台(行員のこと)の御高配の賜と平素深く感謝いたしております」と丁寧に書かれた文面に驚きます。そして、多忙を極める幸之助が26年ものあいだ一行員の自分を忘れずにいてくれたことに感激し、定年後は松下電器に奉職したそうです。


「通りいっぺんやったらあかんで」

昭和56年、幸之助は、リーダー養成のために私財を投じて設立した松下政経塾の塾生に対して、相手を感動させる手紙を書くことが大切だと説きました。

「販売店の実習から帰ってきて、お礼の手紙を書いたか。通りいっぺんの手紙やったらあかんで。そういうところから、天下をとる人とつぶす人とが分かれてくる。“手紙一本でも違うな”となれば、“塾生は偉いぞ”とこうなる」

幸之助はどんなに忙しくとも、だれかの世話になったときは、礼状を出すのを欠かしませんでした。しかも心を込めて書いたからこそ、受け取った人には感謝の気持ちが真に伝わったのでしょう。

(月刊「PHP」2017年5月号掲載)


松下幸之助とPHP研究所

PHP研究所は、パナソニック株式会社の創業者である松下幸之助が昭和21年に創設いたしました。 PHPとは、『Peace and Happiness through Prosperity』の頭文字で、「物心両面の調和ある豊かさによって平和と幸福をもたらそう」という意味です。

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