人名事典

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米長邦雄

(よねなが・くにお)
 一九四三年山梨県生れ。中央大学経済学部中退。

 五六年、佐瀬勇次八段に入門。七一年、八段。七三年、棋聖戦で初のタイトル獲得。以来、各タイトルを奪取し棋界の第一人者として君臨するが、宿願の名人位は七度目の挑戦で五十歳にして獲得した(翌年、羽生善治氏に敗れる)。棋界きっての思想家・社交家としても知られ、名人奪取の年に著わした『運を育てる』(後出)のなかでは、独自の幸福論を展開した。「幸福に遭う人の多くは『惜福』の工夫のある人であって、非運の人のほとんどは、その工夫のない人である。『惜福』とは、文字どおり福を惜しむことで、自分に訪れた幸福のすべてを享受してしまわず、後に残しておくという意味」。米長氏を名人位から引きずり下ろした羽生氏が空前の七冠王を達成したとき、こう語った。「勝負はこれからだ」。次に「福」を使うのはいつか。

 著書に『人生、惚れてこそ』(羽生との共著、クレスト社、96年)、『運を育てる』(クレスト社、93年)ほか。

(データ作成:1997年)