ニッポン新潮流

片山大臣による革命「鎮圧」

(うえすぎたかし/ジャーナリスト)

上杉 隆


幕を閉じた総務省ICTフォーラム


 約一年間にわたって議論を続けてきた「総務省ICT(情報通信技術)フォーラム(今後のICT分野における国民の権利保障等の在り方を考えるフォーラム)」が、報告書を提出してその幕を閉じた。
 日本版FCC(連邦通信委員会)をも視野に、原口一博前総務大臣が設置した私的諮問会議で、筆者もその構成員の一人であった。
 これまで政府のこの種の審議員や、委員などのポストをいっさい断ってきた私が、このフォーラムの構成員就任を受けたのには理由があった。
 まず、議論の対象が「報道の自由を守る」という、ジャーナリストという自身の職業に大きく関連していることだ。
 さらに、記者クラブ制度、クロスオーナーシップなど日本のメディアの抱える問題点について自由な議論が可能だということ。なにより記者会見のオープン化について、総務省という公の機関で話し合いができるのは大きい、と踏んだのだ。
 つまり、ジャーナリストとして仕事をするうえでの環境整備のためにも、私はこのフォーラムに参加することを決めたのだった。
 そのうえで、私は自らに条件を課した。
 まず謝金を辞退すること。これは、ジャーナリストとして、国民の税金を受け取りながら総務行政を取材する、という二律背反的な行為はできないと判断したからだ。
 また、構成員のあいだは、総務大臣などの記者会見への出席を見合わせることにもした。それもジャーナリストとして矛盾した行動になる誤解を避けるためである。
 さらに、フォーラムの趣旨が著しく【歪/ゆが】められたり、自由な議論が妨げられるようなことがあったら、すぐに辞任することも決めていた。
 そうやって一年間、ボランティアで通った末に出来上がったのが、今回の報告書である。
 私が報告書の内容について評価することは控える。客観的な判断ができないのが明々白々だからだ。各々、総務省のホームページなどで確認していただきたい。
 ただ、最初の情況から考えると、クロスメディア所有の問題、記者クラブ制度の問題が盛り込めたのはよかったと思う。
 一年前、私がその文言を口に出すだけで、激しい反発の声が上がった。記者クラブという問題を取り上げるな、と発言する構成員もいた。また、途中、日本新聞協会のレクチャーの際には、逆に私が抗議の退場をしたこともあった。
 だが、それでもこの問題が正式な報告書として総務省の記録に残される意味は、決して小さくない。五年先か、十年先かわからないが、その意義が理解されるときがきっとくるだろう。


いったい、いつまで検討するのか


 ところが現在、放送と通信を取り巻くメディア環境は、そんな悠長なことをいっている場合ではなくなっている。YouTubeによる「尖閣ビデオ」の流出問題、世界中で大騒ぎとなっている「ウィキリークス」の問題――。
 そのどれもが、放送と通信、あるいは報道の自由に関わる大問題であるにもかかわらず、日本だけが完全に取り残されているのだ。
 とくにウィキリークス問題については、世界中において、戦時体制、世界情報大戦に入ったと受け止められている。日本だけが、戦争が勃発しているにもかかわらず、その現実を直視せず、目を背けることで安穏としているのだ。
 だが、それで通用する時代はすでに終わっている。報道の自由を守るという観点からも、単純にウィキリークスを批判すればいいという理論は成り立たなくなっている。
 報告書提出後、私はジャーナリストとして復帰し、最初の総務大臣会見に出席した。そこで、この報告書の今後の扱いを、片山善博総務大臣に尋ねた。
「これからじっくり検討します」
 いったい、いつまで検討するのか――。この回答の瞬間、私は、片山大臣が放送通信行政になんら関心も知識もないことを悟った。
 念のためクロスメディア所有の問題も尋ねると、同じ回答である。さらに私はジュリアン・アサンジ氏およびウィキリークスについて、日本の通信行政のトップとしての見解を求めた。
「よく知らないので、これから組織的に情報を集めます。個人的な感想をいえば、アンビバレントな出来事だと思う」
 これが、現職の総務大臣の公式見解である。
 原口前大臣の始めた放送・通信分野における「社会革命」は、無知な大臣の登場によって一夜にして「鎮圧」されようとしている。