人名事典

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フジコ・へミング

(ふじこ・へみんぐ)
本名、イングリッド・フジコ・ホオン・ゲオルギー=ヘミング。 ピアニスト大月投網子と、ロシア系スウェーデン人の画家であり建築家で あるジョスタ・ホオン・ゲオルギー=ヘミングを両親として、ベルリンに生 まれる。3歳の時、帰国。4歳から母の手ほどきでピアノを習い始め、その 後、ドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツアー氏に師事。

青山学院高等部在学中、17歳でコンサート・デビューを果たす。東京音 楽学校(現・東京藝術大学)在学中に毎日音楽コンクール入賞、文化放送音 楽賞を受賞。20代の頃、日比谷公会堂での演奏を聴いた世界的ピアニス ト、サンソン・フランソワからリストとショパンの演奏を絶賛される。

大学卒業後、29歳で難民としてドイツに留学。ベルリン国立音楽大学 を優秀な成績で卒業した後、オーストリアのウィーンで暮らす。やがて、 21世紀最大の作曲家であり、指揮者の一人といわれるブルーノ・マデルナ に認められ、レナード・バーンスタインの支持もあってソリストとして契 約。しかし、リサイタルの直前に風邪をこじらせて聴力を失い、失意のうち にスウェーデンのストックホルムを経て、ドイツに移住。ピアノ教師をしな がら、長くドイツでコンサートを続けながら暮らす。母の死後、1995年 に日本へ帰国。1999年、彼女の軌跡を描いたNHKのドキュメント番組 が大きな反響を巻き起こし、デビューCD『奇蹟のカンパネラ』は、クラシ ック界では異例の200万枚以上の売り上げを記録。

以後、フランスのパリで暮らし、ヨーロッパの一流交響楽団と共演を重ね る。英国BBC放送や欧州各地のマスコミで数多く紹介され、各国で多くの ファンを獲得。同時に米国でも、ニューヨークのカーネギー・ホールやロス アンゼルスなどで毎年コンサートを開き、聴衆を感動の渦に巻き込んでい る。その独特の個性と心に響くピアノの音色で人気が高く、2009年春の 日本ツアーでは延べ5万人を動員している。

2001年のアメリカ同時多発テロの後は、被災者救済のために1年間 のCD売り上げ印税を全て寄付したり、アフガニスタン難民のためにコンサ ート出演料を寄付したり、ユニセフや動物愛護団体を援助するため、毎年チ ャリティーコンサートを行なっている。

(データ作成:2010年)