人名事典

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守屋武昌

(もりや・たけあき)
 一九四四年宮城県生れ。東北大学法学部卒。防衛庁に入り、防衛施設庁大阪防衛施設部長、運用課長、広報課長、防衛政策課長を経て、防衛審議官。

 「日米安保共同宣言」をまとめた防衛庁側の実務者。今回の安保政策協議の特色は、これまでの外務省主導に対し、防衛庁が初めて本格的な政策的プレーヤーとして登場したことだといわれる。九五年秋の沖縄少女暴行事件以降、日米両国は有事の際の米軍の基地使用などを初めて徹底論議した。その背景には、守屋氏が米国と知恵を出し合って問題を解決することこそ健全な同盟関係の証だと主張した経緯があったとされる。阪神大震災の際も自衛隊の即時出動を主張するなど、「国民のための防衛庁」が持論である。

 論考に「何が求められているか? 日米安保体制」(対論、『セキュリタリアン』96年6・7月合併号)。

(データ作成:1997年)