人名事典

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川淵三郎

(かわぶち・さぶろう)
1936年、大阪府高石市出身。三国丘高から 二浪で早稲田大に進学。2年生の時、サッカ ー日本代表に選出される。1961年古河電工入 社。1964年東京五輪アルゼンチン戦では同点 ゴールを決める。国際Aマッチ24試合6得点 をあげるなど「槍の川淵」と呼ばれた。1970年 に現役引退後、古河電工の監督、日本代表 監督を務めながら名古屋支店金属営業部 長に。1988年から日本サッカーリーグ総務主事 としてプロ化に奔走。1991年Jリーグ初代チェア マン就任を機に30年の会社勤めに終止符 を打つ。2002年日本サッカー協会キャプテン (会長)となり、現在は名誉会長。2009年早大 特命教授に就任。

著書に『「J」の履歴書』 (日本経済新聞出版社)『「51歳の左遷」 からすべては始まった』(PHP新書)など。

(データ作成:2010年)