人名事典

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木村尚三郎

(きむら・しょうさぶろう)
 一九三○年東京都生れ。東京大学文学部卒。日本女子大助教授、東大教授を経て、現在同大名誉教授、評論家。

 西洋史研究、とくにフランス史の泰斗。その該博な知識から辛口の現代文明論が縦横無尽にほとばしり出る。それによると、十九世紀はヨーロッパ的生き方の時代。二十世紀はそれを否定した米国の機能主義、合理主義、効率主義、技術文明の時代。そしていまそのアメリカも行き詰り。先が見えないとき世界は西に向う。ヨーロッパからアメリカ、そしてさらに西にずれ、二十一世紀はアジアの時代。それもたんに経済的に活性化するだけではなく、アジアの生き方が世界に影響を与えるようになるという。

 アジアのなかでもとくに中国に注目して、『RONZA』(96年6月号)では「中国は異質な国ではない」と論じた。木村氏はその論拠として自分の専門であるフランスと中国の共通点を挙げている。たとえば「バカロレアの試験は科挙と同じ暗記第一主義」「フランス料理屋と中華料理屋は世界のどこでもある。普遍性がある」。このほか中国には共存の知恵がある。ヨーロッパ人自身が科学技術信仰から感性の大切さを見直している。欧米がアジア、中国の深い知恵に学ぶ時代だ、と力説する。

 こうした脱欧入亜的な論調は、九一年の湾岸戦争批判で最高潮に達した。「私は湾岸戦争をこう見る」と題して「都市的」「商人的」な中東に比べ、アメリカの戦い方は「農民の戦争」だった。つまり「都市民は相手を信用せず、結束しない。農民は一致結束して自分の土地を守る。商人は人の顔色を見るにたけているが、農民は原価で手数料計算しかしない。中東は六千年相手の顔色を読んできたが、米は単純、二百年の歴史しかない。中東はトロイの木馬時代から知恵と洗練された芸術的繊細さがあるが、欧米はよっぽど野蛮……」。フセインが野蛮で、米国が正義の味方という構図しかなかった日本の論壇にまったく別角度の視点をぶつけ、日本の欧米一辺倒の外交を批判した。

 『新潮45』(94年3月号)では「『景気が悪い』の大研究」と題して「世の中は不況と騒いでいるが、不景気は一体どこに来ているのか。飢えた人もいなければ自殺した人も娘の身売りもない」と国民感性の時代錯誤を皮肉った。

 著書に『西欧文明の原像』(講談社学術文庫、88年)、『文明が漂う時』(日本経済新聞社、91年)などがある。

(データ作成:1997年)