人名事典

>> 検索トップへ

栗山尚一

(くりやま・たかかず)
 一九三一年東京都生れ。東京大学法学部中退。外務省入省、条約局長、北米局長、駐マレーシア大使、外務事務次官、駐米大使を歴任し、外務省顧問。

 理知的な知米派といわれる。直近の駐米経験を語って、「日米間で目的意識や方向感覚が失われてきていると感じた」と指摘、現状の日米関係は漂流している、と表現した。(『外交フォーラム』96年6月号)

 湾岸危機当時の外務事務次官。省内では自衛隊派遣論が強かったが、自衛隊とは別のシビリアンにこだわり、当初、自衛隊抜きの旧PKO法案をまとめた。ところが中堅幹部から自衛隊派遣を求める「血判書」が出される騒ぎとなり、結局は自衛隊中心の法案を受け入れたといわれる。軍部とぶつかって外交官を辞めた父親の体験が影を落したとの評も聞えた。

 論文に「世界秩序の中の日米関係」(『外交フォーラム』91年11月号)。

(データ作成:1997年)