人名事典
江藤 淳(えとう・じゅん) |
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一九三二年東京都生れ。慶應義塾大学文学部英文科卒。東京工業大学教授などを経て、現在慶應義塾大学教授。 日本の近代、戦後の日本をいかに誤りなく捉えるか。この問題をつねに根底にすえて評論し、批評を展開してきた。かつて、福沢諭吉の「恰かも一身にして二生を経るが如く一人にして両身あるが如し」という言葉を引いて「昭和の文人」を論じたが、この認識は幕末・明治という激動期を生きた人間の実感であるとともに、戦前・戦後を身をもって経験した日本人も自覚せねばならない事実であると氏はいう。 すでに慶應義塾大学在学中に執筆した『夏目漱石』(56年)に示されていたように、日本の「持続性と断続性」を隠蔽することなく、欺瞞することなく論じるのが氏の批評の基本。それは、ライフワークの『漱石とその時代』(新潮社、70年~)においても、また『成熟と喪失』(河出書房新社、67年)によって戦後日本の空洞を論じる際にも貫かれた。 氏は、石原慎太郎氏、大江健三郎氏らとともに新世代の文学の旗手として活躍。文体論『作家は行動する』(59年)、評論集『作家論』(60年)、『小林秀雄』(61年)などをつぎつぎに発表する。転機となったのは、六二年からのアメリカ滞在だった。その後、『アメリカと私』(文藝春秋、65年)、『成熟と喪失』(前出)を執筆し、戦後日本とアメリカとの問題に対決することになる。 七○年代は漱石の研究を進め、漱石の作品解釈をめぐって大岡昇平氏らと激しく論争する一方で、明治時代の日本人を探求。それは勝海舟を論じる『海舟余波』(文藝春秋、74年)、山本権兵衛などを描く『海は甦える』(同、全五部76~83年)、『明治の群像』となって結実した。 八○年代に特筆すべきは、精密な原史料読解によってアメリカ占領政策と戦後日本の言論空間の関連を究明したことである。ここで氏は、言語空間が閉ざされて以後、日本人が国家意識を希薄にしてきたことを指摘。「このようにして『言葉』を変質させられたとき、人はかけがえのない経験を奪われ、力を抜き取られて、打ちのめされる」(『自由と禁忌』河出書房新社、84年)。たとえば、『大空白の時代』(PHP研究所、93年)において、戦後の「空白」を回復すべく論じつつも、深層にペシミズムが感じられるのは、この深刻な認識に立つからにほかならない。 著書『閉ざれた言語空間』(文春文庫、94年)ほか。 |
(データ作成:1997年) |