ニッポン新潮流

基地と市民と『朝日新聞』

(たかやままさゆき)/ジャーナリスト

高山正之


まともでない「市民」
 日本に駐留する米軍の意味は何なのか。一つは北朝鮮の監視に最新鋭F22ラプターが緊急移駐してきたように日米安全保障のための監視と行動任務がある。
 それともう一つがヘンリー・スタックポール少将のいう「ビンの蓋」の役割だ。
 日本は戦後、贖罪意識を刷り込まれ、憲法上は軍隊ももたないダメな国に成り下がったが、それでも日本人の叡智までは奪えない。いつの日か蘇ってくる。
 その日が来たとき、首都東京を急襲し息の根を止める仕事を担っているのが、東京のすぐ後ろの横田や厚木、相模原に置かれた米軍基地になる。
 沖縄に駐屯する海兵隊には足となる強襲揚陸艦はない。動けない海兵隊といわれるが、じつは空輸(Airborne)部隊が付いている。つまり日本が立ち上がったとき、素早く横田に飛んでいくのが任務なのだ。
 日本をビンのなかに閉じ込めておく蓋こそわれわれなのだ、とスタックポールは告白したわけだ。ちなみに同じような存在がキューバのグアンタナモ基地だ。米国の横腹に位置するキューバがよからぬことを企んだとき、この基地の海兵隊が首都ハバナを制圧する。
 首都圏の米軍基地はそういうわけで、とても微妙な存在だが、それだけに基地側も気を使う。厚木基地ではゴルフコースを一般に開放しているし、相模原基地も年に一度ゲートを開けて音楽祭を開く。
 そして今年、鎌倉市の男が基地内の倉庫などを観光目的でビデオ撮影して米軍MPに拘束され、フィルムは没収された(『朝日新聞』9月26日付)。記事には「相模補給廠監視団」という「市民団体」が出てきて男に代わって米軍基地の専横をなじっていた。
 一読、これは記事に値するか。まともな人が米軍基地内で「観光目的で倉庫を撮影」するか。まともな人が「市民団体」と近づきがあるのか。
 この新聞には頻繁に「市民団体」が出てくる。杉並区が「新しい歴史教科書」を採択したときも「市民団体」が登場したが、彼らはリンチ殺人やテロの前科がある中核派や革労協系の組織だったことが『産経新聞』の報道(2005年12月9日付)で明らかにされている。
 その前年にはイラクへの自衛隊派兵問題で、立川市の防衛庁官舎に不審な「市民」(同紙)3人が侵入し、派兵反対のビラを各戸にまいて警察に捕まった。彼らは筋金入りの共産党員で有罪判決を食らっている。
「市民」とはまともではないという意味をもつが、この基地と市民と『朝日新聞』の三つが並ぶとそれ以上の危うさを孕んでくる。相模原のケースでは、撮影した男は間違いなく意図をもっていた。騒ぎを起こす目的だったのか、破壊活動の下準備だったのかだろうが、『朝日』が絡むと後者の可能性は高い。
 前述のイラク派兵の折も、じつは『朝日新聞』はまるで「市民団体」みたいな不審な行動をとった。
 自衛隊員の宿営地には、04年8月以降ロケット弾攻撃が執拗に繰り返され、同年11月1日には宿営地内のコンテナが被弾した。
 この間、『朝日』は宿営地と着弾地を示す写真や地図を、それこそ執拗に掲載した。攻撃側がその紙面を見れば次にどの方向に撃てばいいかを暗示する内容だった。
『朝日』は派遣隊員の安全に配慮を求めた防衛庁の提案を、知る権利を主張して拒否(04年1月)している。知る権利の前には自衛隊員が何人殺されてもいいと。
 実際、同紙は銃を地面に突き立て銃把にヘルメットをかぶせたイラストを「声」欄に掲載(04年2月1日付)した。明らかに派遣隊員の戦死を期待したものだ。そのころの政局は、1人の死者が出ても小泉政権は倒れると予想されていた。死者が出ることが同紙の願いだった。
 そんな新聞と基地を撮影する「市民」には強い同志愛のようなものもあって、『朝日』がピンチになると市民団体は喜んで手助けに走り回る。
 この欄でも触れた中越沖地震での『朝日』の報道は良識の一片もなかった。風呂桶一杯分のまったく無害の「管理区域内の水」が海に流れ出ただけなのに、海は汚れたとか、原子炉はもう破壊寸前とか、誰が読んでもチェルノブイリを想起する記事を流しつづけた。
 風評被害が広がり『朝日』の責任が問われだすと「原発被災語る676枚」「市民団体が画像を公開要求」(10月8日付)とやる。悪いのは東京電力で『朝日新聞』ではないと市民に語らせる。
 笑わせるのは、それが地元の「市民」でなく岡山の「市民」に公開請求を出させていた。地元では『朝日』は嘘つき新聞だからと相手にされなかったためか。後ろめたさだけは十分感じられる。

金正日気分の『朝日』
 安倍晋三さんが病気退場した。そこに追い込んだのは紛れもなく『朝日新聞』の飽くことのない非常識な個人攻撃の結果だ。一つの新聞が良識をかなぐり捨てると首相の首も飛ばせるという事態は空恐ろしい。
 もちろん『朝日』1紙の力ではない。新聞週間特集とかで同紙に若宮啓文と筑紫哲也の対談(10月12日付)が載った。この2人が並ぶと読むのに大変な忍耐がいるものだが、そのなかで2人が口をそろえて、この安倍降ろしをやれたのはワイドショーのコメンテーターにインプットする作業に成功したからだと認める。
「自分がみんなと同じことを恥じない、むしろそれを喜ぶ」のがオルテガの書く「馬鹿な大衆」だが、そういう大衆をどう踊らせるか、ということを2人は堂々と語り合っている。こんなに読者を馬鹿にした対談も珍しいが、いまのテレビのワイドショーは写真家や音楽家、漫画家から居酒屋のおやじがコメンテーターとして社会や政治を語る。当然、無理があるから、最低限、これは読んでくださいとディレクターが事前に渡すのが、『朝日新聞』の記事や社説なのだ。
 かくいう筆者も、じつは1年、テレビでコメンテーターをやった。それでどこのテレビ局も『朝日新聞』を教則本に使っているのを知った。要するに、あの世界はいまも牢固とした「戦後レジーム」のなかにあるのだ。日本は南京大虐殺もやり、百人斬りもやり、従軍慰安婦もやった。マッカーサーは神様なのだ。
 安倍政権が倒れたのは、ほかにも、たとえば保守陣営の分裂もそうだし、大本営に相当する保守論壇に至っては正しい保守には小泉、安倍は入らないみたいなファッションがあって、結局、補給も援護もなし。ガダルカナルを思わせる結果になったのだが、いずれにせよ『朝日新聞』を軸にテレビ・ワイドショーが安倍政権を倒した。『朝日』はこのとき小沢・民主党を担ぐという手法を使った。民主党こそいい政党だと。
 参院選に敗れた自民党は、そこは自分の選挙だけが心配な連中だから、すぐさま状況を読み取る。安倍のあと安倍と同じ匂いの、つまり戦後レジーム脱却派の麻生太郎を立てれば、『朝日』とそれにくっつくテレビ軍団は安倍のとき以上に自民党批判に回る。たかが絆創膏ですら大臣の首を取る連中だ。彼らが自民を叩けば反動で民主が盛り上がる、やがての総選挙では確実に参院選の二の舞を食うことになる。
 麻生では困る。一方の福田は政治意識はない。ネクタイを人の好みで決めるように、中国と仲良くすべきだといわれればそうする。北朝鮮とも手を結ぶ。だから『朝日』は彼を好んでいた。自民党員はそれを知っていたから、ポスト安倍にためらいなく福田を選んだ。
『朝日』はこの結果に笑いが止まらなかった。みんな『朝日』のご機嫌を窺いながらやっている。延安整風の毛沢東か、金正日にでもなった気分だったろう。
 それは同時に『朝日』にはちょっと困った事態といえる。お気に入りの福田政権が成立して、のっけから『朝日』のいうとおりに沖縄の集団自決問題では軍の関与を認めるといいだす。農民へのばらまきもやりましょう。何でも『朝日』のいうようにやりだした。
 一方の小沢・民主党だ。この党の半分は『朝日』と同じ思想をもつ社会党の残党だ。将来は『朝日』の指導のもと社民党も共産党も吸収することになるだろう。
 さて安倍は潰したが、次を福田でやるか所期の目的どおり民主党に切り替えるか。どっちにしたものか。
 いまは自民も民主も一生懸命、『朝日』を媚びるように見上げながら、忠誠を誓う姿勢を続ける。
 それで『朝日』は両党に凄まじい注文を出している。民主党には小沢一郎と渡部恒三のカネ(10月3日付)を指摘し、一方の福田康夫も北朝鮮系や公共事業受注企業からのカネ(10月10日付)を指摘し、いつでもクビにできると脅しをかけて、恭順の姿勢をとらせる。
 そのうえで福田政権には沖縄・集団自決で「検定意見の撤回を急げ」。北朝鮮問題では「首相は早く戦略を固めろ」と拉致からの脱却を命じる。
 そのうえで英国人ジャーナリスト、ビル・エモットを使って「南京に行け」と命ずる。南京大虐殺70周年の式典に出たら、おまえを信任しよう、と。
 一方の小沢には、『朝日』のいう平和憲法に逆らう国連軍事行動に参加を表明した件で、「小沢論文への疑問」(10月6日付)で考え直しを要求している。
 日本はこんな新聞に振り回されたままでいいのか。このコーナーを終わるにあたって、あらためて問いたい。