「いい言葉」はたくさんありますが、あなたに安らぎをくれる、「いのちの言葉」はなんですか?

横田南嶺(臨済宗円覚寺派管長)

1964年、和歌山県生まれ。’87年、筑波大学に入り、白山道場龍雲院小池心叟老子に師事し、出家得度する。京都建仁寺、鎌倉円覚寺で修行を積み、2010年に45歳で臨済宗円覚寺派管長に就任した。近著に『なぜ死ぬのが怖いのか?』(桜井竜生との共著・PHP研究所)など著書多数。

 

前を向く言葉で思い出すのは、詩人の坂村真民さんのことです。真民さんのお母さんは36歳の若さで夫を失い、5人の子どもを抱えて一人で生きてきました。それこそ“塗炭の苦しみ”を味わったそうです。
そのお母さんの口癖が「念ずれば花ひらく」でした。真民さんは自分がどん底に陥ったときに、お母さんのこの言葉を思い出し、心の支えにしていました。
仏教では仏様の真実の言葉を真言と言います。まさに「念ずれば花ひらく」は真言として真民さんに大きな力を与あたえたのでしょう。

※坂村真民……1909年、熊本県荒尾市出身。教員をつとめる傍ら、個人詩誌『詩国』を発行し続け、仏教伝道文化賞などを受賞。2006年、愛媛県砥部町にて97歳で逝去。
 

厳しい言葉も、ときには支えになる

私にとって、真言として支えになった一番大きな言葉は師匠である松原泰道先生からいただいたものです。臨済宗の高僧であった松原先生に初めてお会いしたのは、私が中学生のときでした。「仏教で一番大事な教えを書いてください」とお願いしましたら、筆でさらさらと書いてくださったのがこの言葉です。

「花が咲いている。精一杯咲いている。私たちも精一杯生きよう」

これはどんな状況にあろうとも、自分の精一杯を尽くして生きるのだ、という励ましの言葉です。以来この言葉は私の人生そのものになっているといってもいいでしょう。

その後、私は禅の修行を続けながら大学を卒業し、お坊さんになる道を選びました。そのことを松原先生に知らせに行きましたら、先生からひどく叱られました。「仏教界は外から見れば素晴らしく見えるかもしれないが、中に入ればいいところばかりではない。君はどうしてそんなところに入るのか」。

ずいぶん厳しく言われましたが、私の意志は変わりませんでした。22歳から12年間、俗世間との交渉を断ち、修行に専念した期間は確かにつらいこともたくさんありました。

でも「やめます」とは絶対に言えなかった。

言ったら最後、松原先生から「そらみたことか」と指摘されるにきまっていますから。先生の厳しい言葉が、逆に私を支えてくれていたのだと思います。
 

「大丈夫」に勇気をもらった

34歳で「師家」といわれる指導者になりました。師家は今でいう管長につぐ地位です。ふつうは50歳、60歳でなるような役職なのに、なぜか私は30代の若さで抜擢されてしまったのです。

先生のところにご挨拶にうかがうと、先生は床の間に座布団を移されて、「今日からあなたはこちらに座りなさい」と言います。

私はびっくりして、あわてて固辞しました。

たしかに先生は宗派の序列でいくと、管長や師家より少し下にあたります。とはいえ、もう90歳の長老の偉いお坊さんで、宗派の中でも大変尊敬されている先生です。それを下座に座らせるわけにはいきません。

ところが、先生は毅然として席を譲らないのです。私は思いました。松原先生のような大先生を下座に座らせる地位に自分はついたのだ。その重責をこれから背負わなければならない。しっかりしなければ。先生は身をもって重責につく私の覚悟を問うたのです。

しかし、組織の中で若くして指導的な立場に立った私の前には大変な苦労が待っていました。今日逃げよう、明日逃げよう、と思わない日はありませんでした。未熟な自分にはとても背負いきれないほどの重荷です。

今日は辛抱して、明日逃げるから、今日一日は何とか耐え忍ぼう。そんな思いで日々をやりすごしていました。体重も10キロも減り、もう骸骨のようにやせていました。見かねて、信者のおばあさんが、当時の管長に進言したそうです。「あの人には無理です。荷が重すぎます。もう師家をやめさせてあげて」。

すると管長がひと言「あれは大丈夫だ」と言ったそうです。その話を信者のおばあさんから聞いたとき、私は自分の中に力がわいてくるのを感じました。「大丈夫だ」というふうに自分を見てくれている人がいる。それだけで、勇気づけられる気がしたのです。
 

人生はバランスよくできている

何とかプレッシャーに耐え続け、十年ほどたったころでしょうか。松原先生のところにお邪魔をして、お話をしたことがあります。

結果的にそれが先生と言葉を交わした最後になってしまったのですが、そのとき言われたのが、「明るい顔になったね」というひと言でした。この言葉にどれほど救われたか。

それまで苦労に苦労を重ね、耐え忍んできたことが、最後に先生からかけられた「明るい顔になったね」というひと言ですべて吹き飛び、喜びに変わったのです。まるで魔法のようでした。法句経にこんな言葉があります。

「益なき千の言葉より 心の安らぎを得る一言こそ いのちの言葉なれ」

真民さんにとって「念ずれば花ひらく」というひと言は、心の安らぎを得る命の言葉でした。私にとっては松原泰道先生から初めていただいた「精一杯生きよう」や、最後にお会いしたときにかけてくださった「明るい顔になったね」が命の言葉になりました。

真民さんにはこんな詩もあります。

「千も万もの手が わたしを厳しく打ちのめす日と 千も万もの手が わたしを やわらかくつつんでくれる 日とがある」

人生はバランスよくできています。厳しく打ちのめされた分、必ず優しく包んでもらえるごほうびがやってきます。つらいことがあっても、千も万もの手が守ってくれます。

ある方にいただいたこんな言葉も大事にしています。「今、苦しいと思ったら幸せの種をまいていると思え。たとえすぐ実らなくても、やがてこれでよかったということがやってくる」。それに松原先生は「ありがとうのひと言がまわりを明るくする。おかげさまのひと言が自分を明るくする」ともおっしゃっています。

「明るい顔になったね」という先生の最後の言葉を励みに、これからも明るい顔、明るい言葉を大事にしながら、前を向いて生きていきたいものです。